skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

無題

病は気からともいうがその逆もまた然りで、気は病によってもやはり悪くなる。

体がおかしくなると気分も自然と引っ張られて悪くなる。

歳をとって体が治りにくくなった。風邪が1週間以上も治らない。足腰にも力が入らない。ちょっとの力を入れるだけでも腕や胸の筋肉が痛くなる。

 

気力が損なわれると積極性と創造性が失われる。これらを発揮するには気力というか馬力が必要だ。

難しい仕事をするには必要で、これが発揮できている時は胸が高鳴り、晴れた日に追い風が吹く船に帆を張るような感じだ。

しかし調子がいい時に発揮したそんな馬力の跡は、調子が悪い時には重荷になって戻ってくる。

こんなことどうしてやろうと思ったんだろう?まるでできる気がしない。完成形も次の段取りも全くもって霧の中にあってイメージを取り出せない。

本音ではダメな時は引きこもって何もせず休みたくなる。逃げ出してどこか静かなところに避難したくなる。しかし生み出した仕事はあくまでも追いかけてくる。締め切りは迫る。だから出社して働く。しかし焦りだけが募り余計に手がつかなくなる。

 

助けを求められたらと思う。しかし何をどうやって?質問がまとまらない。

何を今更タイミングが遅い、とか、こんなこともできないのか、前教えただろう、とか、何を言ってるのかわからない、と言われそうで怖い。忙しそうで機嫌も悪そうだ。今聴くのはタイミングじゃない。もう少し伺おうか。そんなことをしてる間に気を逸する。

 

どんな仕事でも定常性を求められる。それこそ機械の歯車のように淡々と同じ水準を常に求められる。俺は最大出力と最低出力に差があって中間というものはないらしい。それで周りも自分も困る。

気分の波に巻き込まれ、成果や目的よりも気分を優先してしまうのは幼稚なのだろう。自己中で我が儘なガキだ。ファミレスで暴れ叫ぶ幼児と何ら変わらない。環境を見極め、やるべきことを見極め、どんな時でも対処する力と知恵を持ち実現するのが成熟した大人だ。

パッと浮かんだイメージを具体的に、論理的に分解して段取りにしたり人に伝えたりするのは努力してるが苦手だ。

そして心のどこかでは他人が怖いという感情がまだ燻り続けている。