死ぬほど忙しかった年始を経て、閑散期となった。
ここ数ヶ月土日は無気力で何もしなかった。風邪をひいているか、引いていなくても寝転んでいるか。
暇になった途端仕事にも身が入らなくてサボり気味と言って良い。
虚脱感がある。
久々に暇になったのならメリハリをつけ、いっそ休暇を取って遊びにいくなり活動すれば良いが、
実際のところやることといえば寝て起きてベッドの上でネットサーフィンして適当な動画を見てソシャゲをやるだけ。
精神状態が最悪の時と似たような無気力な過ごし方だ。
友人との遊びの約束は断ってしまった。せっかくの人との繋がりも、時間も大切にできていない。
時折くる社用携帯の震えにビクつく。恐る恐る内容を見て、おっかなびっくり、最低限の対応をする。また携帯を閉じる。
しかし空いた時間で何をするでもなくやはり無為に過ごす。
燃え尽きと言えばなんか格好がつく。
厳密にいうと半年ほどまとまった休みは取れていない。
異なる環境に身を置いて慣れることを優先したからだ。
といっても土日は休んでいるし深夜残業もない。
しかし疲労が蓄積してリフレッシュし切れてないということなのかもしれない。
人によって体力は異なる。対人で緊張しがちな自分は知らず知らずのうちに体力をごっそり削られていたのかもしれない。
周りは優秀で、シビアで、体力が鬼のようにある人だらけだ。そんな中で優秀でなくすぐバテる自分は異物感を醸し出してしまっている。
どれもこれも自己診断で何一つ確信は持てない。自分を客観的に見るのは得意ではない。
あれだけやりたいと思っていた、仕事の知識を深めたり振り返ったりする事や、映画を観に行ったり趣味を楽しんだりする気力もない。
体力がないせいなのか、それを解消するには毎日走れば良いのか、調べて答えらしいものに辿り着き、しかし何も動き出せない。
家族がいれば退屈もなくハリが出るのか。気力が湧くのか。
しかし自分の退屈を紛らわせてハリを出すために家族を作るのは違う。
相手を幸せにすることが目的でなくてはいけない。仕事と同じで相手あってのことなのだ。
仕事も自分の納得や完成度はどうでも良く人からどう評価されるかだ。
人の評価というがすなわちお客さんの評価が全てで、同僚上司の評価は本質的にどうでも良い。
しかし社内の評価も無難じゃないとやりにくくなるし、居づらくもなる。
並じゃダメで良い成果を出さないと跳ね除けられない。跳ね除けずに居座るほど神経は太くない。
辛い時に支えになるのが友達や家族なんだろうか。
実家の家族とは少しずつ和解できそうな気がしている。しかしベッタリ甘えるわけにもいかない。友達にもしょっちゅうは会えない。
人の存在が癒しになるかもしれないと初めて思う。かと言って寂しさもない。人と会って話すと色々深くまで分かるが消耗もする。
人を求めたことが具体的になくどうするものなのかイメージが湧かない。1人でいる事は平気で、そうすることに過度に慣れすぎたのかもしれない。
この先何十年か働いて生きて1人で過ごし切ることができるのか分からなくなってきた。
明日死んでもいいように全力で今を生きるというが、特に何の感慨もなく事切れてもどうでも良い。