ゴールデンウィークといってもカレンダー通りで、仕事が始まる。
遅くまで寝付けず、眠い。
働いている間は案外平気でも、家に帰るとどっと疲れてしまう。緊張して気が張っているだけということか。
鬱々として、気分が悪くなる。
夕飯時になると腹が減るのに、食べたいものが決まらない。決断ができない。
テキトーにカップ麺を食う。炭水化物と資質だけ取る。たんぱく質を取らないと睡眠によくないと聞くが、高いし、コンビニや冷凍食品や外食じゃ中々手軽に取れない。
プロテインでも買えばいいのかもしれない。
テキトーなことに罪悪感を感じたくない。気の持ちようかもしれない。
本音は人の期待に応えたくない。競争はしんどい。
一人だけでのんびり慎まやかに暮らしたい。やりたいことだけを、やりたい時にやりたい。
仕事で速さが求められるとしんどい。締め切りがあるとひやひやする。
でもどんな仕事にも速さが求められるし、締め切りはある。
のんびりと何時やってもOKという仕事は、高度資本主義社会のトップランナーたる日本にはない。中南米の田舎とかならあるのかもしれない。貧しいし不便だけどまったりという幻想がある。
まず仕事を振られるとやり遂げる自信がない。できないというイメージが頭にぱっと浮かんでしまう。それで頭が硬直してしまう。
それでバッファを必要以上に取ってしまう。宙に浮いたタスクなら他の人が拾うのを待つ。
一応計画を組み立てるのだが、もう少し余裕を無くしてタスクを詰められたんじゃないかとクヨクヨ考えてしまう。
まあ変に急いでも手戻りが発生してしまう。かえって早くできない。
バッファは詰めても、うまくいった記憶はない。特に初めての仕事のはじめのタームはそんな感じだ。
タスクも慣れれば拾えるようになる。ただ俺は慣れるのに時間が掛かる。
人にもっとガンガン聞けばいいのかもしれない。でも人に何をどう聞いたらいいかまごまごしている間に、時間がそれなりに経ってしまい、いつの間にかほかの人からも当然知ってると思われる。
それでモヤっとした何となくの根拠のあやふやな理解しかないのに、聞くに聞けなくなる。よってヒヤヒヤしながら知らないことをひた隠しにする。コソコソ隠れるように仕事をする。
聞くは一時の恥というが、結局聞いてもわからなければ一生恥をかくから嫌だ。でも人が助けてくれることには期待したらダメだ。
年々堪え性がなく我儘になっていく。本音に蓋をしなくていいと気づいてからはこんなもんだ。
まあ考えるだけで実行には移さない。粛々と働く。
目が右側だけ悪い。かすんで見える感じだ。
無意識にスマホやPCを見るときに右目だけ使ってるのかもしれない。効き目というものがあったような気がする。
目は一生ものだから気をつけて使いたい。メガネは不便だ。
目をいじりたくはない。コンタクトですら抵抗があるので、レーシックなんてもってのほかだ。
筋トレをしたらなんだか股関節が痛む。これは筋肉痛ではない。
明らかに筋肉が落ちている。関節の可動域も狭くなっている気がする。
ラジオ体操をやるといい運動になる。筋肉や体全体にいい感じに負荷がかかる。
子供の時ラジオ体操を夏休みにやっていたが、ラジオ体操なんて全然運動のうちに入らないし、やって意味があるように思えなかった。ただ体をグルグル動かしているだけでなんの負荷を感じなかった。
でも大人になってから、体を全然動かさない人にとって効果はてきめんだ。
子供の体力というのは恐ろしい。
自分も一応運動部で一生懸命体を動かしていて、体力には自信があったのに、今のこんな有様が情けないと思う。
しかしそんなのも過去の栄光で、運動部をやめてからの年数がもう10年以上にもなっていると考えると仕方ない。これが現実だ。
運動神経が鈍くて力も弱かった幼少のころの、元の木阿弥になったというだけの話だ。