skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

長時間労働

体力があって家族サービスの負担もない若手の頃こそガンガン働くべきと言う意見がある。

これについて異論はない。

若手でも毎日定時帰りできる職場はある種のビジネスモデルが確立しているところであり、自分が何か工夫したり提案したりする余地が無かったりする。

それで暇になった時間を、若さゆえの有り余る体力にかまけて遊び呆けていては人に価値を与える力を身につけられない。

せめて自分でテーマを見つけて自己研鑽しようにも、それを活かせる環境がないのでやがて萎えてしまう。

そして中年以降、外部環境に変化が起きて確立されていたビジネスモデルが傾くと、せいぜい社内調整くらいしかやったことのない状態で労働市場に放り出されることになって誰からも評価されず、詰む。

"いらないおじさん"の一丁出来上がりだ。

 

運良く会社に残れたとして、中年以降に遅れた分を取り返そうとしてガンガン働きたくても体力がなくて物理的に不可能である。

家族も養う立場なら親やパートナーとしての役割もありエネルギーを割けなくなる。

だから20代で人生が決まるというつもりで必死に頑張らなくてはいけない。猛烈に働く必要がある。

こうした警鐘を鳴らす本とかはしょっちゅう出ていることを考えると、20代に遊んでしまう人というのは案外世の中多いのかもしれない。

 

それから、若手のうちは経験もないので、取引先や社内含め他人からの信頼をまだ構築できてない。

信頼が無いと仕事が進まないということも残念ながらザラにある。人によって返事を変える人は社内外問わず多い。

新人を相手にすると、言葉の端々やちょっとした仕草から何か足りなさを感じ、不信感を抱かくか、或いは単純に舐めてかかる悪い奴もいる。

結局それを跳ね返すには経験と実績が必要なのだが、それには業務を通じて人の縁を増やすことが重要で、

ある程度色んな人と繋がるべく、いろんな人から仕事を引き受けるしかない。結果として量は増える。

 

さらに、若手のうちは仕事を進める上で絶対に外しちゃいけないところ、流してもいいところ、といった仕事のコツもわからない。

そうした仕事の勘所だったり、あるいは自分の得意な領域は何かを理解し、自分なりの仕事のやり方を身につけるのにも、まず量が必要だ。

いきなり質が高くなることはなく、量が質に転換するのだ。

 

しかしながら、物事には限度というものがある。

現代求められる労働とは頭脳労働であるが、2、3時間の睡眠で果たして頭が回るだろうか。

自分で考えて工夫せず、求められるがままにただ何十時間も働くだけで、何となくの勘所以外に身につくものがあるだろうか。

経営、マーケティング、その他最新の情報を学んだり、自己研鑽や他人からのフィードバックとなど、なんらかのインプットの時間も確保しなくては、その工夫の種も生まれない。

若さを浪費して腐る一方だ。

そう考えると、せいぜい働くと言っても残業月80時間くらいが限度なのではないか。

 

単純な労働時間、ということについても思うところがある。

今求められているのはあくまで頭脳労働であり、時間さえ掛ければ良いものを大量に作って売り捌いて大きく儲けられるというものではない。

会社という集団で行う頭脳労働においては、ある程度の自主性と良き仲間と、厳しくも暖かい良きフィードバックがあれば何時間でも働けるものだ。

異なる知識や考え方を出し合い、助け合い、思いつくものを倍々ゲームに増やせてこそ集団組織で働く意味がある。

逆に、皆が冷たく各人がバラバラに動き、仕事を抱え込み、発言の前に意識すべき暗黙の事項や忖度すべき不文律が無数にあり、お互い監視し合い、陰口を言い合うような空間では、毎日定時帰りでもキツい。

ハラスメントの類はもってのほかだ。

本当にいい環境で働けているなら、休日に仕事のアイディアを思いついてワクワクすることさえある。

 

ちなみに若手の頃に心身の病気などで仕事を頑張れないこともあるが、それは焦らずに病を治すのが先だ。

あくまで病気を治すが先、仕事が後だ。肘を壊したピッチャーにいきなりピッチング練習を課すことが無いのと同じだ。順序として、まずは当然ながら治療とリハビリである。

それに、病気その他の困難に向き合う経験は、必ず人間としての思考力や洞察力を深めてくれる。だから仕事の無駄にはならないし、むしろ役に立つ。

トミージョン手術を受けたピッチャーは、リハビリの間ピッチングができない分筋トレに励むので、復帰後にかえって球速が速くなるのに似ている。