skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

月曜日

睡眠サイクルが狂ってしまい3時まで寝付けず、寝不足のまま月曜の朝を迎える。しかも天気が悪いから寝覚めが悪い。

晴れていれば多少寝不足でもシャキッと起きられるが、曇ってればその逆の現象が発生する。

新しく引き継いだ作業がうまくいかず、手戻りが発生する。excelで謎の参照があったりして解明に手間取る。普段と違う慣れない手順で変な抜け漏れが発生する。

在宅だからと回していた洗濯物を忘れてカゴの中に濡れたまま放置してしまう。

コーヒーを飲むと多少頭がシャキッとするが、代償としてかイライラソワソワが止まらない。

散々な月曜日だ。

まあやっていくしかない。

 

昔の自分ならもっと平常心を保たずビクビクしてしまっていた。

それに比べちゃ望むべき方向に進歩したと言える。

進歩や成長とは、目標があってそこから現実とのギャップを縮めるべく努力した成果のことだ。

だからたまに聞く、成長自体が目的というのは解せない。定義からして、目的がなければ努力も成長もないはずだ。

俺の目標は穏やかに働くことだ。今、割とその目標は達成していると言える。

しかし目標は達成してしまえば当たり前になり、さらに上を見て、またそことのギャップを埋めなければと思ってしまう。

穏やかに働くだけでは足りず、もっと稼がなくてはとか、もっとスキルを身につけなければとか、今手にしていることを大事にできなくなる。

現状維持は衰退の始まりなんてハッパを掛けられそうだが、現状を大事に味わうことを忘れては幸せにはなれない。

幸せが目標なんだとしたら、金儲けや自己目的化した成長という巷でよく言われる要素に惑わされず、ぶれずに幸せの方へと努力し、成長しなくてはいけないはずだ。

時間

仕事や所用を段取り立てて一つずつ首尾よく消化していく。

空いた時間はゴロゴロ休み、面白そうな動画や掲示板を見る。

晴れていたら散歩して美しい風景を見る。時折遠くまで出かける。

好きな時に好きなものを好きなだけ食べて、漫画を読んで音楽を聴いてゲームをする。

まるで安楽椅子の上の生活だ。

なのに心の中にしこりが残る。モヤモヤとしたイメージが残る。

ずっと残火のようなものがブスブスとしている。

 

とにかく情熱を燃やして、没頭できた経験がある。

ワクワクが止まらない楽しさを知ってしまっている。

そして今はそれが無い。

金や時間や社会的立場などは不足がないし、トラブルにも巻き込まれていない。

でも手に入れたいものを手にしていない。

 

時間術というものがある。

時間は有限だ。

いや時間自体は無限かもしれない。でも一人の人間が生きてから死ぬまでに体験できる時間は有限だ。人はいずれ死ぬ。

時間における有限と無限の厳密な定義とか区別はややこしそうだから脇に置いておく。

 

ともかく限られた時間を有効利用したい。

不慮の事故とか病気、自殺で、俺と同い年の人が死ぬニュースなんかもちらほら見る。現実に死んだ同級生もいる。

しかし人生の一番肝心なトロの部分に時間を割いていない。

 

時間の使い方には4種類あるらしい。

このうち、昨今の俺の人生は、読んで字の如く背負わされた役割をこなすための"役割の時間"と、なんとなく目的もなく垂れ流す"浪費の時間"だけで構成されている。

でも、やっていること自体が幸せという"幸福の時間"と、幸福という目標に向けて一歩ずつ進むための"投資の時間"が全く無い。

 

俺にとっては何かに没頭している時間が幸福の時間に該当した。

少なくとも自分の経験を振り返るとそうなる。

でも今の時間の使い方ではそれを捻出できるイメージがない。

本当は夜更けまで起きてから眠りにつき、10時間は寝て、昼頃起きて、ボーッとインターバルの時間を過ごし、散歩でもしてから飯を食い、面白そうなものを見つけて読み、夕方過ぎ頃にやおらスイッチが入り、4-5時間没頭し続けるというサイクルを過ごしたい。これ以上没頭するのは流石に疲れる。

でも現実は、夜更け眠れないところを我慢して寝ようとし、7時間弱くらい眠り、結局眠りが浅いまま早くに起きて、朝からカフェインで頭を叩き起こしながら仕事をし、残業はなくとも10時間くらいは拘束されて、その後疲れた頭でなんとか動こうとするもボーッとゲームかショート動画か何かで浪費するのが精一杯という有様だ。

 

サラリーマンとして働いている限り、実現は不可能かもしれない。

しかし当座の生活はしなくてはいけない。それなら将来の年金破綻や相続・介護に自力で備えなくてはいけない。家も買った方が良いのかもしれない。

よほど没頭と職業が重なった幸運で才能もあるフリーランスにでもならない限り、実現は難しいだろう。

雑記24/5/15

朝型か夜型かはもともと遺伝子で決まっているとかそんな話だ。俺は紛れもなく夜型だ。

起きてからエンジンの掛かりが遅くて、ようやく頭が回り出すのは午後も更けてからだ。

時短とか朝活、朝型生活とは相性が悪い。

ダラダラ午前中を過ごすことが助走になって、ようやく午後に数時間捗る。そんなわけで時間効率はよくない。

 

寝不足の日が続くとネガティブになる。なかなか夜寝付けない。ネガティブな時ほど言葉は出てくる。

 

自分の操縦方法がよく分からない。

心の声に蓋をしてしまう段階は超えられたが、心の声に従うだけが操縦ではない。

真に求めていることに辿り着けない。遠回りもいいとこで、犬の道というやつだ。

自己理解が大事とは思いつつ、つい長年の癖に従って行動するか、無軌道に目先の欲のままに動いてしまう。

長年の癖とは、他人の目を気にして他人に合わせて完璧に期待に応えようとするもので、疲弊を招く。

エリートはそれを歯を食いしばりながらも、あくまで自然にやる。

自分と課題が分離されており、あるいは分離はされていないが自分が正しいという自信あるいは思い込みが強く、体力も気力も恵まれているからこそ、人に合わせて与えようとする余裕がある。

目先の欲とは、好きなものを食ったり買ったり、好きなところに行ったりという程度だが、消費の楽しみは所詮一瞬で忘れられるものである。

身につくものもないし、執着すべきではない。

 

真の自己本位の生き方、大切にしたい価値観、本当に欲しいもの。他人の生き方を損なわず、四六時中自分の心に従っていられるかというバランス感覚。

とにかく残り短いかもしれない人生、されど今日が一番若く残りの多い日である人生、もがくしかない。

昔の自己否定・自殺未遂の足掻きから比べれば、ずっと健全な悩みだ。

やる気スイッチ

エンジンが掛からない。

今年は年始休みも返上し、合わない仕事と環境の中で長く働き、もがき疲れたところからスタートした。

今は部署異動してしばらくが経ち、少しずつ仕事を覚えてきたところだ。

しかしあまり積極的に仕事に対して手を挙げる気にならない。

反動で一時的に無気力なのか、もうダメになったのかは分からない。

とにかく今自分がいなくても仕事が回っている状況に甘えてしまっている。

仕事のためにと買った本も積んだままだ。

社内の資料やメールもあまり見ていないし、習った内容も覚束ない。

やらなくては、という気持ちに現実がついてこなくて焦る。

自信が無いから消極的になり、結果として実践で身につく知識や経験が身に付かず、ますます自信がなくなり消極的になるという負のスパイラルにハマっている。

それでボンヤリと過ごす時間が増える。

肩叩きに合った、何をしているか分からないおじさんベテラン平社員の姿と自分が被る。

研修のためにきた新人の子がいるが、何か教えられる自信もない。

これだけ長く働いておきながら、こんなにも語れることがないのかと消沈してしまう。

それでも自分にだって経験はあるはずだ。一生懸命になり、どうにか仕事を回して納めて来たことは下手なりにある。

普段から工夫したり気をつけたりすることもあるし、失敗のツボもそれなりに感知できるはずだ。

でも他の人にとっては全然無視して良いどうでもいいポイントかもしれない。

無駄に実力を矮小化して捉えてしまっているだけなのか、現実にそうなのかは分からない。

しかしもし後者だと分かってしまったらと思うと怖くて確かめたくない。

 

経験を言語化して整理するには時間が必要だ。

いつも時間をレバレッジにして後から捲るようにして身につけてきた。

授業ではぼんやりしてしまうが、自習でスイッチが入った時にはよく勉強ができた。

あるいは部活動の時は逆に練習の時間だけでずっと集中して頑張り抜いてきた。

ある程度没頭しないと頭の中に情報が定着しない。

普通の状態で何かを読んだり練習したりするだけだと、あやふやなイメージがフワフワと存在するだけで何のアウトプットもできない。

没頭することが俺にとって唯一の成功体験だ。

でもそのためのスイッチが入らない。

というか壊れて何十年も経ってしまっている感覚だ。

没頭に頼らず、淡々と容量よく身につけて上達する方法を見つけなくてはならないのかもしれない。

だがそれは俺にとって宇宙語を話せるようになることよりも難しい。まるで真似ができない。

 

せめて足を引っ張らず、空気を悪くすることなく、淡々と働いて粛々と貯金に励むしかないかなと思う。

無相応に承認や賞賛、昇格なんかを求めて得られないからやさぐれてかえって癌になってしまうのだと思う。

しかしクビは怖い。上を目指し続けないと死神に追いつかれるような感覚がある。

俺はニートや引きこもり、ミニマリスト、節約FIREを達成した人のブログとか記事を読むと、なんだか自分の気持ちとシンクロする。似た匂いを嗅ぎ取れる。

バリバリ働いて稼いで使ってトップに立ちたがるタイプとは水と油も良いところだ。しかし働いている限り、そんな人たちとも御さなくてはならない。

まだFIREには程遠いので、それまではせめて病気せず働き続けて逃げ切りたい気持ちだ。

法律が変わって解雇が簡単になったり、急な不景気で会社が傾いたりしたら、まともなところには拾ってもらえないだろう。

ボーッとする

GW明けを何とか乗り切る。

でもなんか半分くらいは正直サボっていた。

会議や飲み会なんかもあって、寝不足で頭が回らなかったりする。

午前はまだ眠くてボーッとして、気合いのいる会議が終わったら一息ボーッとして、

トイレの個室にこもって、

昼休みに飯を食ったらそれで眠くなって、

結局1日トータルでグダグダとしてしまう。

で、できる仕事を後回しにし、それでいて何かするでもなく、なんだかボーッとしている時間が長かった。

 

罪悪感は湧く。

しかし一方で期待に応えたい思いもある。

だから本当は得意じゃ無い即レスや即判断もするし、

相手の意図を汲んだ交渉や、いろんな可能性を考慮した確認も怠らずにやる。

でも瞬間的にガッとやる気を出して、その反動で気が抜けてボーッとする。

緊張と緩和の繰り返しで、定常的に淡々と仕事を進められない。

他の人がサクサク集中して仕事をする様子を見て、ああもっとこんな感じにやらなくちゃ、と思いながら、

マウスポインタがブラウザからヤフートップに滑っていく。

あるいは一応必修だけど割と期限に余裕があるアンケートとか研修動画とかを見る。

それから過去の資料とかメールとか数字を見る。まあこれは一応必要なことではある。

しかしそこから何か新しい仕事や改善案を積極的に考えたり提案するでもなく、ボーッとし、受身で問い合わせが来た時だけパッと目覚めて対応する。

まあ典型的なやる気のない無能社員というか、穀潰しというような体だ。

 

肉食動物は1日数時間だけ食う分だけ確保するために狩りをして、それが終わったらずっと休む。

なんだかそれにリズムが似てる気がする。俺はまったく肉食獣とは似ても似つかず、強くもカッコ良くも無いのだが。

人間も縄文時代くらいまでは数時間だけ狩猟最終に励んで後は遊んで暮らしてたとかそんな話だ。

俺は原始人のメンタリティが強すぎるのかもしれない。

スマホ

スマホを買い替えることにした。

正直まだ全然使える。

でも電池の持ちが悪くなった。ピーク時の8割の性能とからしい。

まあ確かに減りは早くなった。

 

あとは容量が少なくなった。

新しいデバイスが出るとできることが増える。

それで新しいアプリやソフトウェアができる。

そうして新しいことができるようになると、より要求されるスペックが大きくなる。

たくさんのデータを早く処理しないとできない表現が可能になる。

そんなわけで今のスマホに一つだけゲームを入れたら容量が一杯になってしまった。

だから新しいやつの、一番大きいものに買い替えることにした。

 

しかし値段に結構びびる。

手軽さの割にいかつい。

円安のせいかもしれない。

手元にロレックスやティファニーまでは行かないけど、ゲーミングパソコンを持ち歩くようなものだ。

 

本当はもっと長持ちさせたい。

物持ちよく、使える限りは使い続けたい。

でもそのうちOSも対応しなくなる。だから買い替えないといけない。

そういうビジネスの都合に従うのはなんかいやだ。見え透いた誘導にハマるのはむかつく。

PCも7年前くらいに買ったやつが健在なのだが、windows11に更新できなかったから新しいやつを買うことにした。

まあ古い方もサブ機として使ってはいるので勿体無さは感じないが。

 

とはいえスマホに関しては完全に壊れてから買い替えると色々面倒臭い。

今はクラウドがあるのでまだ安心だが、データが救い出せなかったりすると本当に萎える。

昔全く電源が付かなくなってからスマホを買い換えたことがあり、その時はどういう経緯かは忘れたが、電話番号を変える羽目になった。新しい連絡先を各社に伝えるのが大変だった。

今俺は固定電話を持っていない。だからスマホが唯一の通信手段だ。

それにスマホが使えないとコミュニケーションだけでなく、決済とか本人認証とか行政手続きまでできなくなる。

いわゆるネットカフェ難民も、職探しのために家代は諦めてもスマホ代は必須で払うそうだ。

スマホは全員が持って使えるのが前提という世の中になった。

これが元はと言えば電話の携帯版だとは、もはや誰も思うまい。

雑記24/5/5

昨日は一日中遠くに出かけて結構な距離を歩いた。晴れた春の山間は素晴らしく新緑で気持ちが良かった。

旅先では、写真はなるべく撮らないでその場の五感で味わい尽くそうという考え方だったが、最近はそれを少し改めた。

結局写真はある程度撮って残した方が、あとで写真を見返したときに感じたことを思い出すきっかけになる。記憶力頼みだけだと、ちょっと曖昧にしか思い出せない。

もちろん写真撮ってばかり過ごしてその場を味合わないのは勿体無いと思ってしまう。

最近ヒップホップのライブなんかで、みんなスマホをずっと構えながら縦ノリしているのを見るが、あれで十分にライブの場を味わえてるんだろうかと思ってしまう。

あれほど密着した場で一度出したスマホをしまうのはめんどくさそうだけど。

 

しかしたくさん歩いたせいか、腰と股関節の痛みというか強張りが悪化してしまったようだ。

調べてみると骨頭壊死とかそういう怖いやつじゃなく、変形関節症というものらしく、運動不足が原因で40代以上の女性がよくなるやつらしい。

俺は男で体力に自信があったのにこのザマだ。筋力不足は事実だし情けなくなる。

もし将来歩けなくなったら困る。散歩ができないのはもちろん、ちょっと所用ができた時に歩けないというのはどれほどの障害になろうか。そして排泄すらできないのだとかなりまずい。

不動産屋に備品を直してもらうだけでなく、病院の予約まで入れなくてはいけない。GW明けはバタバタしそうだ。

 

それとは関係なく今日は一日中漫喫で漫画を読み漁った。子供の頃できなかったことを今の自分で叶えてやる。

しかし感性は変わる。少年漫画なんかはなんでこれを読みたがったのかよく分からなくなってしまっている。

とは言ってもドラゴンボールとかは全然楽しく読める。自分が楽しいと思えることの解像度をより上げていく必要がありそうだ。

自分が漫画を描いていたこともあったので、他の人が読んだり薦めたりしているものを知らないと危機感を覚え、もっとたくさん読んで吸収しなくてはと思っていたこともあった。

自分に無い感性を持ってるこの人が進める作品の、この面白さが分からない自分は視野狭窄だと思い込んでしまった。

でも結果的につまらない本でも無理やり読むようになってしまい、やがて漫画を読むことさえ苦痛になってしまった。

たとえ興味の範囲が狭くても、それにしがみついて何度も繰り返し読めばよかったのだ。

あるいは、いろんなものを沢山読むにしても、あくまで興味のセンサーに引っ掛かるものを見つけるために色々試し読みすることが重要だったのだ。

自分が触れたすべてを吸収する必要まではなかったのだ。結局身につくとはそういうことだ。