skulguyのブログ

30代凡リーマンの日記。とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

雑記26/7/31

熊本で震度7の地震があった。

熊本といえば、10年前にも大地震に見舞われている。

10年前の地震で崩落して復旧中だった熊本城の城壁が、今回の地震で再び崩れてしまった。

防災拠点のイオンモールではガス爆発が起きた。

災害があった時のために備蓄していたLPガスが漏れて、かえって被害を広げる格好になってしまったようだ。

しかし、災害があるたびに自分の防災は大丈夫かと心配になる。

今年の頭に防災用バッグを新調して、モバイルバッテリーも購入するなどして防災への備えを強化しているのだが、まだ足りない気がしてくるのだ。

備蓄の食料をもう少し買い足した方が良いかとか、簡易トイレが1つで足りるのかとか、そういうことを考える。

何しろ、一人暮らしで近所付き合いもない身としては、何かあった時は完全に1人で対処しなくてはならない。

今回の地震を見てみても、避難所の開設や救援の到着、物資の到着はただでさえ遅れそうだし、ましてインフラの復旧は、簡易的なものであっても月単位でかかるだろう。

やっぱり、支援をあてにするのではなく、ある程度自力でどうにかしないといけない。

ところで、災害時に特に心配なのはトイレ事情だ。

下水道が止まった中で、1日だけならまだしも、1週間とか1ヶ月の間どうやって処理をすればよいだろうか。

不潔なのはもともと嫌だというのもあるが、不潔な環境下で伝染病が広まり、しかも薬も医者も不足している状態となると、結構致命的な二次災害になってしまう気がしている。

 

外が暑すぎる。

毎日のようにゲリラ豪雨も降って、湿気がすごく高い。

夜も蒸し暑いままなので、ナイトウォーキングも中断している。

今や、外に出て運動するのはもはや自殺行為だ。

しかし、それでも少しは外に出て日光を浴びておかないと、元気が湧かないのではと考えている。

最近は屋内にこもる時間が増えているのだが、なんだか常に元気が湧かずだるい。

充分に睡眠時間を確保できているはずなのに、起きた瞬間は体が重くて、全然疲れが取れていない気がする。

夏バテなのだろうか?

本当は食事にも気を付けて、肉をしっかり食べるべきなのかもしれないが、つい冷たい蕎麦なんかでサラっと済ませてしまう。

 

残業が続いている。

7月は通常閑散期のはずが、なぜか今年は案件が多かったのだ(勿論、良いことではあるのだが)。

それから、熊本地震の影響もあった。

災害があると俺の仕事にも影響が出るので、今週は結構大変だった。

とはいえ、被災地の大変さに比べたらこんなことは屁でもない。

ただし、蓄積疲労には要注意だ。

1日2-3時間の残業は案外いけてしまうのだが、これが積み重なるとあっという間に30-40時間の残業になる。

4時間以上残業した日など、本当に1日が働いて寝るだけで消費されててしまう。

ある程度の期間はテンションでどうにか乗り越えられてしまうのだが、閾値を超えたある地点からドンと疲れが襲ってきて、一気にパフォーマンスが落ちる。

蓄積疲労の恐ろしさは、疲れに気付かないところにこそある。

で、一度ガタ落ちしてしまうと無気力になり、リフレッシュできないまま平日を終えて、土日は寝て回復するだけになり、あっという間に1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎる。

こうして貴重な命の時間が虚無に変わってしまう。

メリハリをもって、積極的に休みを取っていかなくてはなるまい。

 

お金が増えていかない。

キオクシアが暴落して日経平均が引っ張られて下落し、株価が全然上がらない。

海外の株価も同じように伸び悩んでいる。

まあトランプショックの時みたいな暴落と言うわけではないのだが、停滞はしている。

俺の保有するインデックスも春先には面白いように伸びていたのだが、ここ数ヶ月はそれが嘘だったかのように足踏み状態だ。

それから、貯金額もイマイチだ。

小腹がすいて、ついコンビニやスタバに寄ってしまう習慣なんかをやめないと、小金がどんどん減っていってしまう。

とはいえ、腹がすぐ減ってしまう体質の方はどうにもできない。

腹持ちが良い、安くて美味い飯なんかはないだろうか。

しかし、物価高が収まる気配はない。

これから永久に缶コーヒーは170円、おにぎりに200円以上になるのだろう。

昔はどちらも120円くらいで買えたのに。

どうしても昔の感覚が拭えず、ちょっと前はこの金額があればアレが買えたのに…と苦々しく思わない日はない。

インフレしてモノが高いのに給料が上がらない…というのは日本だけでなく、他の国でも聞くような気がする。

これは世界共通の悩みなんだろうか?

何が起きているのだろうか?

一般的なお金や物の価値が下がって、一部の企業や富裕層ばかりに実質的な富がどんどん流入するような、不健全な気配を感じなくもない。

夏風邪とのど飴

体調を崩してしまっている。

ハウスダストによる鼻詰まり→寝ている間に口呼吸→雑菌が入って喉風邪→副鼻腔炎→鼻づまり悪化…というお決まりのパターンになってしまったようだ。

のどのイガイガに加え、副鼻腔炎特有の青っ洟に、軽い頭痛のコンボも来る。

せっかくの土日、床屋にも行きたかったし、銭湯にも行きたかったが、全部パスして大人しく家で過ごすことにする。

とりあえず、ハウスダストの原因になったであろう布団カバーを洗って干す。

と言っても、ゲリラ豪雨に見舞われたおかげで、外にちゃんと干せたのは午前中だけ。

しかし、それでもちゃんと乾いている。

外に干していた間もカンカン照りの晴れではなく、むしろ湿気もあって曇りに近い状態だったというのに。

外の暑さがますます恐ろしくなる。

もはやサウナのロウリュのような熱波だ。

(ところで、今までサウナで使う熱波のことを「老流」みたいな風に書く日本語だと思っていたのだが、フィンランド語の「ロウリュ(löyly)」らしい。)

 

のどの痛みを癒すため、ふと思い立ってロッテのカリンのど飴を買いに行く。

幼少期の頃、風邪をひいたときに親が買ってくれていたような記憶があったのだ。

トローチはまだ家に在庫があったが、あれはあくまで薬なので、摂取するのに間を空けるなどの手間があって面倒だ。

単純に喉をスースーさせたいだけなら、普通ののど飴の方が良い。

そこで、ふとその幼少期のカリンのど飴の記憶を思い出したのだった。

と言っても、そんなに強烈な思い出があるわけでもなく、ほんの少しだけ脳の奥底にわずかにこびりついたような記憶でしかない。

それでも、その微かな記憶を頼りにスーパーを探してみることにした。

のど飴は久しく食べていなかったし、ましてやそんなに飴にこだわりがあるわけでもないので、他ののど飴でも良かったと言えば良かったのだが、一種の好奇心が起きて、まずは探してみたくなったのだ。

そんなわけでスーパーに来て、のど飴の棚を見つけるのにも一苦労しつつ、それらしきコーナーがお菓子売り場の近くにひっそりとあるのを発見した。

で、いざその狭い一区画を見てみると、実に色んなブランドののど飴がギッシリ置いてあるではないか。

売り場では、CMもやっている老舗の龍角散が心なしかデンと構えており、一方で、色んなフルーツの味をアピールする新しめであろう商品が、ポップな色とフォントでひときわ目立とうとしている。

とにかく色んな商品が、商品の特色と「この商品を選ぶべき理由」をセットにして、パッケージで一目で分かるようにアピールしているのが分かる。

限られたスペースと時間で、消費者の注意力を一瞬でも切り取るために必死なのだ。

棚取りはBtoC企業にとって戦場だ。

で、肝心のカリンのど飴はなかなか見当たらない。

幼少期の記憶によれば、チューインガムみたいに小さな棒状のパッケージに入っていたはずなのだが、そのパッケージの形状すら見当たらない。

今はリニューアルしてるか、あるいは撤退してて無いのかな・・なんて思って少しテンションが下がっていたのだが、ふと端の方に、見覚えのある色とロゴマークの組み合わせがあるのが目に飛び込んできた。

まさしく、それは幼少期に食べたことのあるロッテのカリンのど飴だった。

「昔の思い出」だと思っていたものが、今でも健在のブランドだと分かり、軽く感動すら覚えた。

もっとも、パッケージの形状は変わっており、袋タイプのものになっていた。

それでも、パッケージに使われている緑色と、鐘をモチーフにした黄金色のロゴマークは変わっていなかったので、一発でそれと気づくことができた。

病人なのにやたらテンションが上がってしまった。

濃い茶色の見た目、すっきりした甘味、喉がスースーする感覚も変わってなかったように思う。

あと、昨今ありがちなサイズダウンも無かったように思う。

キットカットやカントリーマアムはすっかり小さくなってしまい、あの頃の食べ応えがなくなってしまい悲しい。

 

とりあえず熱はないので、頭痛と鼻詰まりが収まればどうにかなりそうだ。

心なしか、夏風邪やコロナがまた周囲でも流行り始めている。

梅雨から盛夏への変わり目の季節、一気に気温と湿度が上がった感じはするので、体調には気を付けないといけない。

酷暑

本当に暑い。

最高気温は38度近くになっている。

場所によっては40度というところもあるらしい。

梅雨時までは久々に平年通りの(「久々に平年通り」なんて変な日本語だが)過ごしやすい気温だったのだが、梅雨明け以降はすっかりここ数年と同じような酷暑に戻ってしまった。

外にいると身の危険を感じるレベルの暑さだ。

プロ野球の二軍戦の試合が、選手が暑さで体調不良になってしまって中止になった、なんてニュースも見た。

かつて珍しかった40度近い最高気温は、すっかり当たり前になってしまった。

確かXかfacebookで見たのだが、明治時代の頃は最高気温32度くらいで酷暑扱いされており、集団的に熱中症患者が発生して当時の新聞記事にも載っていたみたいだ。

当時は冷房のない時代だから、暑さから逃れられる手段がなく、今では「普通」くらいの暑さでも体を壊してしまいやすかったのだろう。

現代日本には冷房があるから耐えられる。

一方、現代の欧州も熱波に襲われているが、もともと涼しい気候であることもあってか冷房がない家庭が多いらしく、夥しい数の熱中症死者が出てしまっているようだ。

冷房によって暖気が街中に排出されてヒートアイランド現象が起きるとか、冷房が電気を使うから火力発電による地球温暖化が進行するとか、冷房こそが気温上昇の親玉なんだから使うな!なんて意見もあったが、最近は下火になってきている気がする。

やっぱり背に腹は代えられない。

あと、俺が子供の頃は、冷房にあたり過ぎると暑さに弱くなって「冷房病」になるとか言われていたが、今や冷房のある所にじっとしていないと危険だ。

常識はアップデートせねばなるまい。

今、俺の部屋は外出時でも冷房をつけっぱなしにしてある。

冷房を切ってしまうと、すぐに部屋中が蒸し風呂状態になってしまうのだ。

昔は、真夜中の時間帯は冷房をタイマーでオフにしていたものだが、今はそういったこともやらない。

ずいぶん暑くなりすぎてしまった。

暑くて蒸すと、ダニなんかも繁殖しやすくなる。

季節外れの花粉症みたいな症状が出たので、ダニの発生を疑い、ベッド周りを徹底的に掃除した。

ベッドカバーを取り換えて布団を干し、マットレスを立てて日光に当たりやすくした。

マットレスの隙間には大量の抜け毛とか汚れが挟まっており、こいつがハウスダストの原因か…と気づいてゲンナリした。

部屋で過ごす時間が増えるのだから、部屋をとにかく綺麗にせねばなるまい。

夜も暑いまんまだから、夜のウォーキングも短く切り上げるかしないと危険だ。

この酷暑も8月中旬くらいで終わってくれるとよいのだが。

夏の終わりは、ある程度涼しくないと風情がない。

あと、普通に外に出たい。

スーパー銭湯

最高気温が35度を超えると、さすがに暑い。

外を10分も歩いていると汗が吹き出してくる。

ベタベタするのが嫌で、体を拭うためのボディタオルが欠かせない。

500mlペットボトルの飲料はあっという間に飲み干してしまう。

散歩は好きだし、引きこもりも運動不足で良くないのだが、やっぱりこの時期は日中は外を歩くべきではないのかもしれない。

となると、日中は何もせずおとなしくして、夜にすごすごと繰り出して歩くしかないのか?

周りをふと見渡すと、心なしか歩いている人の姿も普段よりまばらだ。

移動したい人は車で移動してるのだろう。

俺もペーパードライバー向け教習を受けるべきなのか。

車に乗ることができれば、暑さ寒さをしのげるだけでなく、行動範囲だって広がる。

公共交通では中々行けないところにも、ドライブで行くことができるようになる。

ただ、思いついて立ち止まって道中の風景をのんびり見る…ということは逆にできなくなるが。

それはともかく、不快指数極まりない環境の中で体をさっぱりさせたくて、前々から行こうと思っていたスーパー銭湯に行った。

普段のユニットバスでは味わえない、大浴場の湯舟だ。

そして流石「スーパー」と付くだけあって、広々とした施設内には色んな種類の湯舟があって、100人は居ようかという来客でどれもが賑わっていた。

ジャグジー風呂は期待通りで、程よい腰と背中への打撃が心地いい(足裏はこそばゆいので当たらないようにした)。

名前を失念してしまったが、長時間浸かると神経が整うという、35度くらいのぬるま湯の弱炭酸風呂でまったり過ごす。

また、今日は晴れていたので露天風呂も利用でき、開放的な雰囲気でくつろぐことができた。

今日行ったスーパー銭湯には、風呂のほかにもマッサージとか、食事処なんかもついていたので、今回はいかなかったのだがそのうち使ってみようと思う。

ところが、久々の湯船に浸かって代謝が良くなり過ぎたのか、着替えた後の帰り道で汗がどんどん噴き出してきてしまった。

本当にシャツがぐっちょりと濡れるほどで、結局、家に帰ってからもう一度シャワーを浴びる羽目になった。

まあでも3連休の締めとしては良い感じの仕上がりになったと思っている。

雑記26/7/17

真夏の到来だ。

日中が蒸し暑いのは当然ながら、夜もあまり涼しくない。

先月までは、昼が暑くても夜は涼しくて、外を歩くと結構気持ちが良かった。

しかし今月に入ってからは、夜の散歩中であっても、ジメジメして生暖かい空気が体にまとわりついてきてしまい、肉体的にも精神的にもリフレッシュできない。

また、夜が暑いので寝苦しくて、眠りが浅くなっている。

冷房はずっとかけているのだが、やっぱり湿度が高いと効きが悪い気がする。

睡眠不足だと、熱中症になりやすいという話を聞く。

特に、重度の熱中症になると脳障害まで残ってしまう、というような「熱中症の怖い話」がXでどんどん流れてきて、熱中症への警戒感はMAXになっている。

そんなわけで、とにかく熱中症になりたくない一心で、とりあえず水をこまめに摂取するようにしている。

心なしか、水を長時間飲んでいないと、ふとした瞬間にふらつきそうになる。

喉が渇いてなくても、いざ水を飲んでみるとやたら美味く感じる。

俺はあまり筋肉量がないので、水分を体内に貯蔵しにくいらしい。

そういう意味でもちゃんと筋トレするべきなんだろうが、やっぱりやりたくなくて敬遠し続けている。

暑さばかりでなく、すっかり夏の風物詩となったゲリラ豪雨にも見舞われる。

今日などは雷が落ちて、その影響で家が一瞬停電してしまった。

停電すると、復旧した後の通電火災が怖い。

今日はたまたま家に居たので、復旧後の点検ができて良かったのだが、留守中に火事が起きたらそうはいかない。

不在中のせいで適切な対処ができず、火が小さいうちに消すこともできず、そのせいで大事なものが燃えて無くなってしまったらと思うと、中々嫌な気持ちになる。

 

仕事では、どうにかトラブルを乗り越えた。

なるべくエネルギーを使わず、淡々と作業屋をやっている感じ。

とはいえ、エネルギーが余っているわけでもない。

先に書いたように、身体的なコンディションも良くない。

そんな中で、またしても仕事に必要な知識やルールが大きく変わりそうでしんどい。

硬直したフローやルールに雁字搦めになるしんどさと、どっちがマシなんだろうか?

先の利益や、先のやりやすさを見据えて、どんどん変化を受け入れていった方が健全ではある。

頭ではそう分かっている。

でも、たまに心がついていけなくなりそうになる。

新しいことに適応するには、80点の合格最低点を取るためにもそれなりに頑張らなくてはならない。

それを予期してしまってしんどくなる。

さらに、変化する環境やルールの中で目覚ましい成果を出すには、120点の断トツの好成績を出さないといけない。

本音では、もはや昇格や昇給を狙って120点の頑張りを出すよりも、80点を淡々と安定して取り続けられるようになりたい。

80点を出すために「頑張り」たくはないのだ。

でも、淡々と合格点を取り続けられるほど俺は頭がよくない。

ゴールを見抜いてルートを考え付き、飄々とスマートにこなすのは難しい。

俺が気を抜くと、他の頑張っている人にどんどん抜かされて立場を失い、やがてお払い箱になる。

フェアではある。

でも、お払い箱になった結果たどり着く窓際社員というポジションは、(俺は既に経験済みだが)とにかく居心地が悪い。

居心地の悪さを気にしないでいられるほど図太くなれない。

それに当然、将来のキャリア形成は不安になるし、整理解雇リスクも上がる。

窓際を受け入れたくないなら、やっぱり頑張らなくてはいけない。

でも、頑張り続けることにも限界を感じつつある。

頑張り方を変えないと、もっとスマートにならないと持たない。

 

独身で居続けること

外はかなり蒸し暑くなってきた。

いよいよ本格的な夏到来というところだ。

洗濯物を干してから、玄関掃除に排水管掃除もやる。

湿気が多いせいか、洗濯物は思ったより乾きが悪い。

久々に掃除した排水管には、ヘドロと化した汚れが詰まっていた。

これを夏の一番暑い時期に、臭いが酷くなる前に排除する。

 

法事のために実家に久々に戻る。

実家のみのこじんまりとした法事ということもあって、上着にネクタイ無しで良いという話ではあったので、それに甘えてシャツにパンツのみの比較的軽装で臨んだのだが、それでも礼服というものは暑い。

いつの間にか脱水していたのか、行きがけに買った500mlペットボトルのスポーツドリンクも、実家に着くはるか前に飲み干してしまうほどだった。

 

法事が終わった後、親からはそろそろ嫁でも貰わないのか、という話を軽くされる。

結婚はおろか交際する気すら毛頭ない俺からすると気まずい話題なのだが、俺の年齢からすると当然無視できない事柄だ。

母と父はほとんど同じ年代なのだが、子供の結婚に関するスタンスは結構違っている。

母親は福祉関連の仕事をしていて、色んな家族の悲喜こもごもや、LGBT含めた個人の様々な生き方を見ているからか、「パートナー選びも含めて自分が幸福になる道を選べ。」と、割と「アップデート」された価値観を持っている。

他方、父は古い組織で定年まで内勤を勤め上げた人で、「生物は番になって繁殖してこそ自然なのだから、男も女と結婚して子供を作るものだ。」と、古くからの知識や価値観をそのまま持っているという具合だ。

どちらが正しいとかはさておき、「何か没頭しているものがあるわけでもないが、一人でのんびり過ごすのが一番いいから独身のままでいると思う」という俺の本音は、おそらく母にも父にも受け入れられるものではないだろう。

しかも、もうとっくに治った古傷になっているとはいえ、そうなった遠因として、俺の生育環境における長年の家族の修羅場のことも思い出させることにはなるだろう(当事者が忘れているわけがない)。

すっかり一人を満喫しており、俺は俺の道を行く気で満々なのだが、俺が結婚して子供の顔を見せることはない、となると両親も辛くなるだろうか。

いざ正面から聞かれると、思わず立ち止まって考えてしまう。

あくまでも俺の人生は俺のものであり、親のために生きているわけではない。

ただ、それでも心がチクっと少し痛まなくもない。

その痛みも、しょせんは内面化された規範意識のせいであると割り切れなくもないが。

きょうだいは結婚しているのだが、子供はいない(おそらくできることもない)。

なので、俺の家は俺の代で完全に終わりということになる。

ぽつりぽつりと家族が消えて、完全な一人に近づいていき、親を看取り、実家や墓を処分するときなど、実際にどんな気分になるのか想像もつかない。

淡々とやると思っているが、自分が10年後や20年後も同じ思考を保っているかは分からない。

 

ただ、やっぱり自分が誰かと一緒に暮らし、家庭を築くというイメージが、心の底では全く湧いてこないというのも事実だ。

 

雑記26/7/11

いよいよ梅雨明けということなのか、外も晴れて、暑くなってきている。

とはいえ、暑いと言っても30度台後半の酷暑ではない。

昨今の異常気象とは違い、今年の気候はきわめてオーソドックスな推移になっている。

去年の6月は、最高気温が5月からグンと伸びて、いきなり30度台半ばまで達していたような記憶だ。

それに引き換え、今年の6月は最高気温もおおむね20度台後半で涼しく、湿気はあったが過ごしやすくて快適さすら感じていた。

雨の方も、ここ数年は、梅雨の期間でもほとんど雨が降らないか、逆にスコールのような大雨が降るような塩梅だった。

しかし今年の梅雨は、台風上陸も一応あったが、極端な大雨はなく、程よく雨が降って期間も1ヶ月弱で終わった。

これが本来の季節の廻りなんだろう。

本来の季節どおりが一番いい。

 

仕事では一応繁忙期が落ち着いたが、せっかく落ち着いたタイミングでトラブルが発生してしまった。

原因はコミュニケーションの齟齬にあった。

相手が理解できていると思っていた前提要素が、理解されていなかったのだ。

持論だが、コミュニケーションの齟齬に関しては相互的な責任があり、少なくとも自分の責任割合がゼロになることはないと思っている。(逆に自分が100%悪いということもない)

特に、自分よりも相手の習熟度が低い場合は、こちらがもっと丁寧にコミュニケーションしてサポートできないとなと思っている。

自分が知っていることを相手も同じレベルで知っていると思い込んでしまうとだめだ。

正直、相手にももっと頑張って覚えたり確認したりしろよと思う部分はある(今回の相手は習熟度が低いと言っても、全くの新人でもないのだ)。

そのうえで踏ん張って調整してほしい部分はあるし、サポートのし過ぎはかえって甘えを生んで成長を阻害することにもなりかねない。

とはいえ原則論として、相手の方が習熟度が低い場合は、やっぱり習熟度の高い方がサポートせねばならない。

基本的な商品仕様と仕様的に無理なこと、必要な申請や作業の順番、工数と納期、後出しでできることとできないことなど、仕事の上で覚えるべきことがたくさんある。

そうした数々の情報をもっと具体的に分かりやすく提供し、地雷原の除去をできないといけないなと思っている。

それにしても面倒くさい。

真剣にやるべきポイントを絞って、適当にやれるところは適当にやりたい。

トラブルを想定して未然に防ぐことばかり考えると、頭が緊張だらけになって俺もパンクしてしまう。

確かXで誰かのポストで読んだが、最悪のケースを想定することが癖になると、かえって脳が委縮して臨機応変な対応力が削がれてしまう。

先述の通り相手は新人ではないのだが、新人相手にやるようなド丁寧なヒアリングシートでも作ろうかと思案している。

感情的に怒ったり揉めたりするのでなく、仕組みでどうにか解決したい。