skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

他害

引きこもりや鬱になってしまう人、発達障害なんかで支援を必要とする人の中でも他害をするタイプがいる。

暴力や暴言を他人にぶつけてしまい、支援や共感を遠ざけてしまい益々悪化するタイプだ。

殺された熊澤栄一郎はそんなタイプだったようだ。

3歳の赤ん坊を殺した暴力団員、宅間守なんかもそうなのか。

溜めに溜めた鬱屈を暴力でぶつけるというより、暴力性が常に剥き出しになっていて、鬱屈をすぐに力にぶつけてしまうタイプだ。

おまけにそういう奴に限ってガタイがやたら良かったりする。180cm100kgとかある。目を合わせたくない。

暴力とその恐怖で人を従えることが得意で、一方でそれが唯一の成功体験でもあり、それしかできないという手合いだ。

ある種の才能として格闘技が拾ってくれるタイプもいるかもしれないが、そこでも手に負えないタイプもいるだろう。

戦国時代なら活躍したタイプなのか、あるいはすぐ鉄砲の弾に当たって死ぬタイプなのかはわからない。本人の才能次第だ。

 

熊澤栄一郎を殺してしまった父親には法律的には公平に裁かれるべきと思うが、感情的には無罪放免にしてやりたいと思う。

同じ屋根の下に狂人がいて実害をなす可能性が有意にある状況で精神がじわじわ蝕まれる。

恐怖が現実化するかしないかのラインを行ったり来たりして、たまに思った通りに現実化して、今後もっと悪い事態が起きることを想定せざるを得なくなる。

外でなら捕まって傷害罪や名誉毀損罪と名がつくものが、或いは民事で賠償を命じられるようなことが、家の中においてはそのまま野放しにされる。そうして慢性化する。

支援員も跳ね除けられてしまう。それこそ頼れるのは警察くらいだ。支援員は訓練を受けていない。

こうなると他人の手を借りられず、人の助言も得られにくく、知的な問題があれば自分で気づくこともできない。

支援する人からしても、話が通じないし手を出されるかもしれなくて話したくない。

この手のタイプは他人に害をなし、そしてそれが本人の孤立という不利益も招く以上、一番支援が必要なのに、一番支援から遠いところにいるのかもしれない。

 

幼少期は各学年に一人くらいどうしようもなく暴力的な奴がいて、遠巻きにされて孤立していた。

これは虐めになるのだろうか?孤立体験として心の傷になっているのか?それを知覚し内省するのか?そして大人になった今彼はどうしているのだろうか?

正直なところ一番会いたくないタイプだ。人間というより肉食獣と対峙するような恐怖がある。

一方で、社会の中でもやたら押しの強さでどうにかするタイプもいる。

少しバカならパワハラで更迭されるが、狡猾にネチネチと圧をかけるタイプはまだ生き残っている。

彼らは知的に問題がないだけで、こうした他害タイプの延長にいるのかもしれない。

しかしこうしてみると、結局状況を思い通りにする手段として暴力は未だ有効だとも思う。