skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

子供

結婚して子供を持つべきか持たなくてもいいかということはたびたび話題になる。

 

持つべきだという意見は、30代を越して独身だと気が狂って詰むとか、女性なら産める年齢を過ぎてから後悔しているとかそういう話だ。

持たないで良いという意見は、自分らしい人生を歩むべきという現代の価値観があるのに結婚子育てへのプレッシャーをかけるのは古いとか、お金がなくて子育てなんかとてもできない、男性なら特に結婚もできないという話だ。

 

前者は婚活コンサルを名乗る人がグイグイ押してくる。結婚だけでなくその後の子育てにまで言及し危機感を煽るスタイルだ。(適齢をテコに一種の"閉店セール"をやるのだ)

婚活コンサルは、個人の名を明かしてやっている場合無料のTwitterフォロワーを有料noteに変えつつコンサルに繋げるという規模×転換率勝負のビジネスだ。

結婚は一人一回なので(再婚の場合、初婚と同じコンサルに世話になることはないだろう)常に適齢期の新規ターゲットを捕まえてこなくては成り立たない。だから必死なのだ。

後者は独身者が諦めか自己肯定かどちらかの文脈でつぶやく。

それを痩せ我慢しているとかモテないだけとか、適齢期過ぎた後絶対後悔するとか傍から揶揄されたりするのが常だ。

正直現実世界でも後者はあんまりいい顔をされる傾向はないので(世間の風潮もあるので上辺はそうだよね、と肯定してくれるが、後で何か裏があるとか物足りない奴とか、要は半人前のレッテルを貼られオモチャになる)ネットではますます熱く語られることになる。

 

つい百年とか50年前くらいまではそもそもそんな議論自体起きたとは思えない。今とは状況が違った。

まず、医療とそのインフラが発達していないから免疫体力のない子供はとにかく死ぬ。だからそもそも子供をたくさん産まねば残らない。

また児童労働の概念がなく、子供に任せられる作業も沢山あったので子供とは即働き手であり、家族が経済単位でもあったことから未来の家督相続の担い手としても期待されていた。

大正昭和は徐々にそうではなくなったのかもしれないが、明治、江戸時代とかなら家族は代々で一緒に住む大家族で、近所のつながりも濃く、農民であれば田畑が家の近くにあり、言ってみれば職住近接だから、たくさんの子供をたくさんの大人がちょっとずつ見ながら働くということができた。

それに親が働く姿を見せ、そのスキルや姿勢、村の掟なんかを教えてやれば、時代のスピードがゆっくりなので、将来子供が成長した後もそのまま使えるものであり大変理にかなっていた。

また、昔の子供にはお金も時間もかからない。寺子屋にはまあ行くとしても10歳そこそこでもう丁稚奉公には出せる。高価なおもちゃや服も必要ない。この時代にswitchもSAPIXも無い。

だから子供は働き手として沢山産む必要があったし、沢山育てることも十分可能だったということだ。

 

今はどうだろうか。

手が掛かるのは小学生低学年くらいまでとは言え、子育て自体には20年くらいは掛かる。

まず、今の日本の法律上、アイドルか新聞配達でなければ中学までは働かせられない。つまり子供を産んだら15年は金にならない。

中学を卒業しても、昭和中期みたく中卒でそのまま集団就職とはいかない。産業が高度化するととにかく脳みそより手先が大事という仕事が減り、人口を抱えられなくなる。日本はもうそういう段階は過ぎ、世界の工場たる地位を中国に取られている以上、今や中卒の働き口はほとんどないのが現状だろう。自分の周囲にも高校中退はいても中卒で働き始められた奴はいない。

だから義務教育でも無いのに結局子供は高校とか大学までは行かせなくてはいけない。となると親の方も共働きで金を沢山稼がねば学費が足りなくなる。あくまで義務教育ではないので、どうしても国公立には"落ちる"可能性が出てくる。受験にあたって国公立に落ちたらすぐ働けと子供に条件をつきつける家庭は今は少ないように思う。

さらにいうと、10代後半にもなると、社会的にはヒヨッコどころか卵の段階のくせに頭だけが発達して、人間関係が妙に複雑になるもんだから、周りの目線とか気にして服とかスマホ、ゲーム、部活道具、その他諸々も周りのお友達と同じだけ持たせてやらねばなるまい。それくらいはバイトして稼げと言うか、勉強に専念しろと言うかは将来の稼ぎか今の金かで迷うところだ。

おまけに受験でいいところに行きたければ塾だ。ただでさえ学費と年数が跳ね上がるところにさらにコストがかさむ。

それから子育てにあたって親の背中を見せるということがほとんどできない。アドバイスがほとんどできなくなる。ただでさえ仕事と家が分離されている中、子供は子供の社会を強固に形成するようになるし、大人の目がますます届かなくなる。目をかけてくれる祖父母や近所の人も核家族化でゴッソリいない。

また、時代の変化のスピードが早過ぎてこれから身につけるべき常識や規範、スキルも陳腐化してしまい教えられない。SNSで炎上しない方法なんて大人も一緒に学びたいくらいだろう。或いは何がいけないのか勘づいてはいても充分に言葉で表現できず伝わらない。

すなわち今の親には、モーセ十戒くらい普遍性を持った大事なことを説得力をもって、本来は大人扱いの年齢の"子供"に伝えられるかが問われる。(人に迷惑をかけるな、とかもよく親から伝えられた大事なこととして言われるが微妙なラインだ)

 

だから今の子育てには、まず金とお金がかかるという大前提と、大人が教えることがない、薄いという親たる資格の揺らぎがある。

親になるのは簡単なことではなくなってしまった、というのは紛れもない事実だろう。

 

前者が言うことと後者に浴びせられる意見でネット上には子を持たない人は持てばよかったと後悔する、と溢れるようになる。

しかしここにはおそらくもっと重要かつ深刻なものが現れていなくて、

それは上記の逆で、既に子供を持っているがそれを後悔しているという層だ。

それを明かせば、誰とでもどんな少数意見でも繋がれる匿名ネット空間とはいえ、共感より反発が圧倒的に多くなるだろう。

しかし母親にしろ父親にしろ向き不向きはあるし、またそれが問われやすい環境にある。

稼げるか?という目線も子供のために、という大義が加わるからシビアになるし、子供とのコミュニケーションもめんどくさい、と感じるケースも増える。歳が数十年離れて価値観も環境も違う奴と話すより、気がおけない同期と話したいと思ってしまう。

30代であれば仕事の責任は重く出世争いも一番激しくなる。金稼ぎ競争と肉体のタイムリミット(特に女性には閉経がある。男は80歳で父親になる猛者もいたが)が同時に現れ気が気では無い。そこに親としての資格は何か?という精神的な葛藤も加わる。

 

葛藤しなくても、金がなくても子供は産めるが、生まれた子供は肉体精神共に自分で自分の居場所をつくれるくらいタフでなくては生き残れない。或いはそうなる前に虐待とかで死んでる可能性はある。多産多死の常識に逆戻りだ。

この間も沼津で赤ん坊の焼けた死体が見つかり、産み落とした母親の方が逮捕された。父親は罪を負わないばかりか姿まで見せない。とにかく人間の命を産んだはいいが即駿河湾の魚の餌にし我々が美味しい美味しいと言って頬張る寿司だか刺身だかの一部にしたのだ。理論上可能な、物理的には可能なことを、本当にしてしまうことさえできる。