金を稼ぐ必要さえなければ、働いて苦しむことは無かった。
しかし金がなければ家も食べ物も服も全部なくなり苦しい。
働くことはすべての苦しみの根源だ。
苦手なこと、興味のないこと、人間関係の面倒さ、相性の合わない人、時間と成果のプレッシャー、ままならない景気に抗う、他人の評価、その他諸々。
だったら自分の好きなことや得意なことを仕事にしようとか言われるが、大抵はそれを見つける暇も余裕もない。
それに好きなことや得意なことについて需要があるとは限らない。昼寝だけが得意な人なんてどうすれば良いのか?
それに、好きなことだけ、得意なことだけを、相性のいい客にだけ売れば良いとかなら相当恵まれているが、大抵はそうは行かない。
だいたいは本業以外の確定申告とかに苦しみ、客も馴染みの一見さんのみでは成り立たない。というか馴染みが厄介化するおそれすらある。
他人の目線を気にせず自分軸で生きようとかもよく言われるが、それも働く以上は困難だ。
生きるために必要な報酬はあくまで他人軸で決まる。
金の根源とはクライアントの評価であり、サラリーマンなら社内の評価でもある。
それに評価が悪ければ同業者とか同僚に手も貸してもらえない。本当に文字通り一人でできることなどたかが知れている。
とにかく自分は生産手段を持たない。何も持っていない。
昔と違い、資本主義が隅々まで行き渡っている。
先祖代々の田畑や入会地は持っていない。
狩猟・織物技術も持っていない。仮に持っていても勝手に山の中に入ったり、材料を刈り取ることはできない。山の所有者(山を所有ってなんなのだ)に許可を取ったり、材料を買わなくてはならない。
だから自分を売って金に変えて、家と食べ物と服と交換しなくてはならない。
自分に価値があると言うことを絶えずアピールしなくてはならない。
人材業界の人間は、人間に対して市場価値、という言葉を平気で使う。
個別の生き方や信条、性格、個性はすべて需給の原則に従い金に換算される。そしてそれをなんとも思わない才能がある。
ボロ布に身をくるんで屋根の無いところで寝泊まりして平気な聖人には今世ではなれそうにない。
せめて暖かい布団に美味しいご飯、汚く無い身なりは欲しい。