家を買って車を買って結婚して子供を二人大学まで送るのが"普通"だというとんでもない時代があった。
そして今自分の生涯賃金を計算すると、おそらく郊外の手狭な中古マンションを一軒買えばその全てを使い果たすことになる。
そしてその中古マンションは自分が死ぬ時には果たして築何十年になっていることだろうか?
これまでなんとか社会における"普通"のゾーンにしがみついているつもりだった。
しかし生まれ育って以来見聞きし体験し描いてきた、自分が歩むと思ってきた"普通"の未来からは遠く離れてしまった。
自分には能力が足りなかったのかもしれない。
あるいは努力が足りなかったのかもしれない。
努力はしてきたつもりでも、客観的に見て量が足りなかったか、あるいは方向を間違えて無駄な努力をしていたのかもしれない。
それでもとにかく嘘偽りなく言えるのは、自分は自分のできる限り、手を抜かず日々を毎日精一杯懸命に生きてきたということだ。
客観的に見てどうであれ、少なくとも主観的には、自分は自分の中の100%を絞り出してきた。
そしてその結果がドベであることを突きつけられている。
動かせない冷たい墓石に刻まれた文字のように。
一方で努力が実った人たちは社会の中で活躍し、いっぱしの時代のリーダーになっていて、家を買ったり車を買ったり子供を産み育ててアメリカやオーストラリアに行ったりしている。
スマホゲーの課金を減らしていれば、二度寝の時間を減らしていれば、外食をやめてストイックに自炊でタンパク質をとっていれば、程々の運動をしてれば、読書を増やしていれば、就活で誰かに頼れていれば、借金してでも留学をしていれば?
時代のせいか、税制のせいか、経済や戦争のせいか、居場所のますます狭くなる社会のせいか?
努力は実らないことがある。
過去は変えられない。
負けて、ボロボロになったとしても、ファイティングポーズを取り続けなくてはならない。
奪われ続けた先にさらに残ったものまで奪われる前に。