幼稚園の時から既に変人で、
先生のお便りとかにもすごい個性的とか将来どうなるか楽しみとかオブラートにだいぶ包んだ表現で評されていた。
当時の写真を見ると運動会かなんかのクイズの出し物で一人だけ正解を間違えてるシーンが出てきたりして、それを見ていた両親はたまったもんじゃなかっただろう。
末は研究者かよく分からんやつかみたいな話も周りの大人はしてたかそんなことは無かったか忘れたが、
とりあえず現実としてギリギリで社会にしがみついて細々とサラリーマンをやってそれなりに楽しく過ごしている。
変人というならまだしも、それだけでなく子供社会をサバイブするのに必要なスペックが軒並み低く、
コミュニケーションと運動神経がカスすぎて虐められ、
小学校低学年の頃なんかはしょっちゅう揶揄われて物を取られて隠されたりツバ吐かれたりションベン掛けられたり
殴られたり蹴られたりとやられ放題でなかなか悲惨であった。
やり返そうにも足が遅くて追いつかないからやり返せなくて結局泣いて先生を呼ぶしかないのは童心にかなり情けなくて堪えた。
しかし時は経って、
クラス替えでいじめっ子と離れ、いじめを許さず守ってくれる正義漢がいて(感謝しかない)
自分も体がデカくなって足が速くなったらナメられなくなってイジメもなくなった。
いじめっ子にももうわだかまりは全く無いし何ならこの間一緒に飲んだ。
今体のサイズはチビになってしまったし、運動神経は器械体操系がからっきしで腹筋が全くできないという半端な形に落ち着いてしまったが。まあ今それでいじめられるとかは流石に無いし。
そこからは努力が結果に全部変わっていくような文字通りの順風満帆で、
調子に乗って学級委員を務めたり選抜リレーの選手になったりして、
小学生高学年から中学生くらいまでは勉強スポーツ万能でクラスのリーダーという我が世の春を謳歌した。
このまま挫折しなければ橋下徹的な努力至上主義者になったに違いない。
努力ももちろんしたけど振り返ると運が超良かった部分がデカい。
でも実際そこからどうなったかというと、要は挫折したのだが、
高校くらいからコミュニケーション能力の低さがアダとなり、
同級生の脳が発達していき複雑化する人間関係に全くついていけなくなり
誰も自分の言うことを聞いてくれないし伝えたいことが伝わらないし、他人の言うことも分からないことからパニックになり、
後は家族関係の悪化とか諸々のストレス要因も重なって対人恐怖になり終わった。
当時KY(空気読めない)という概念が流行っていたが、自分がKYであることに対して恐怖と絶望を感じてしまった。
本当にポッキリ折れて今までの努力とか全部無駄じゃんと思って無気力無感動になった。
頂点から一気にドン底の陰キャラどころじゃない鬱キャラだか虚無キャラだかになってしまい自殺が現実的な選択肢になったわけだが、
どうにかこうにかしぶとく生き延びて今に至る。
海の底で溺れているところをバチャバチャと這い上がりなんとか陸地にたどり着いてさあこれからどうするかと考えている最中である。
復活するまでの過程は前にも書いたので割愛する。
一瞬だけ、ドベから這い上がって社会の第一線で活躍するような王道の一流エリートになるコースを夢見た。猿山ピラミッドの頂点。
そういう本物になる人も身近にいただけに痛感するのだが、自分は結局王道でなく傍流をいくしか無い。
自分の心に素直に従えば変人道の獣道というわけで、所詮自分の器は自分の器、
もし一緒に面白がってくれる人がいたら尚のこと面白い。いなかったらいなかったでまあしょうがない。