何者かになりたい、という欲求がアラサーアラフォーくらいで強い。
好きなことや得意なことで誰もやらなかったことをやり、稼ぎ、有名になり、SNSでフォロワーをいっぱい集めて、
たまに浅い成功法則を語ったり正論で社会を斬りたい願望が強いようだ。
受験入社結婚子供家車定年という社会的成功モデルが叶えられなくなり、そんな中で青年期にSNSが登場した結果
捻り出された裏道というか奇形児のようでもある。
何者かというのは特に存在せず、まず我々か弱気人間は宇宙のチリだか頭の良い猿に過ぎないのだからさっさとそんなもの忘れるべきである。
同時代に覚えられたいと言うことであれば、成功を収めるより殺人を犯した方が早い。
そうでなければ芸術や宗教を残すかだ。ハードルは高い。
消えない傷跡か、脈々受け継がれる教えやイメージを残すかだ。
金稼ぎは一定の交換可能な役割なので、役に立たなくなったらすぐ捨てなくてはいけない。
稲盛和夫や松下幸之助のような経営者が名を残しているのは、金を稼いだからではなくむしろ芸術や哲学の文脈に近いように思う。
もっとスケールを上げて歴史上に名を残したければ、早い話政治家になって人を沢山殺せば良い。
金稼ぎの文脈で名を挙げたとしても、100年たてば世界史で覚えなくても良い単語扱いされるか、全く忘れられるかが関の山だ。
何者か、より、無名でも他人に優しい人がいっぱいいて欲しい。
たくさんの人に知られる存在でなくても、目の前の人を大切にし実直に人助けができる人がいい。
社会に影響を与える力とこのような優しさは、残念ながら大体のケースで反比例するものだ。
強くて優しいケンシロウのような人物こそが目指すべき"何者か"でありヒーローでは無いだろうか。
人の人格で、他人への優しさと実現する力以外に何か必要なものがあっただろうか。