skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

不安

不安の96%は実際には起きないという。

実際に起きないのが8割だかで、残りの2割のうちのもう8割は起きたとしても対処できることで、実際に発生する不安は4%ぶんしかないという話だったと思う。たぶん。

で、起きてしまう4%というのも、結局予期していた結果とは違う種類の悪いことだったり、あるいは起きたことに対する自分の解釈が偏ってるだけというオチだったりする。

だから本来は不安を予期なんてしてもしょうがないのだ。

 

不安は心の中だけで起きる現象であり、実際に現れる五感で感じられることではない。

五感で感じたことがトリガーとなって不安という心の現象を起こすことはあるが、その逆はない。物音がして泥棒がいるのかと不安になってドキドキするようなことだ。

つまり不安は今ここにないということで、未来に対するものである。あるいは時系列的には今ここでも、目の前にないことについての想像である。なので不安とはニアリーイコールで予期不安である。

物音がしてそれが泥棒なら次の瞬間表れて鉢合わせするとか、武器を持っていて襲われるとか、今まさに物をとっていて滅茶苦茶にされているかもしれないとか。

 

だから不安から逃れたければ想像をやめればいい。

想像をやめる代わりにすることは今ここのことに集中することである。

今見ているもの、今聞いている音、今感じる心臓の動き、呼吸すると鼻腔を通り抜ける空気の冷たさや圧力、その他。

未来はしょせんコントロールできないもので、それを不安になっていることが起きないようにと願う=未来をコントロールしようとするから苦しいのだ。

未来をコントロールするのとは予期した不安に対処するため準備をするのとは心構えが違う。

準備をすることは、予期した未来を解釈可能な大きさのシナリオに分け、リスクが発生するポイントに分解し、それに対応するために今できることにフォーカスすることなので、

準備をしている間は今ここ・コントロールできることのみに意識が向いているため不安を忘れている。

それに対し未来をコントロールするのはそもそも原理的に無茶であり、結局できないのでますます落ち込み絶望することになる。

 

不安にとらわれるとは妄想にとらわれることで、今ここで起きていることそのものに注力できなくなって、ますます別の危険を生んでしまうことだってある。

例えば昔ニュースで見たが、インコを車で動物病院に連れて行く途中、インコのことが心配になりすぎてハンドル操作を誤り人をひき殺してしまった人がいる。

このように別の危険が発生したら、結果はどうあれ不安を感じると悪いことが実際に起きる、という経験になってしまい、不安がますます強化される。というかある意味正当化される。

そうして不安を感じることが習慣というか日常茶飯事になり、ますます悪い結果を生みそれがまた不安を強化するという悪循環に陥り、

雪だるま式に不安が募り様々なことで支障をきたすようになってメンタルが終わる。

 

しかも人間は無意識のうちに35000回もの思考と決断を下しているといい、それの大半が不安に関することになってしまうとすると大変なことだ。

35000回も不安に思っていたらさすがに病んでしまう。

 

こんなことを書いている筆者もまさに不安に駆られている最中だ。

ちょっと急な身辺の変化が起こることになり、正直評判の良くない環境に身を置くことになりそうだからだ。

久しぶりに瞑想でもやってみようか。呼吸に集中し今ここを感じるやり方がある。

 

 

俺は数年前まで毎日が不安で仕方なかった時期を過ごしており、紆余曲折ありいろいろ学び、

最終的にマインドフルネス経由でこのあたりの本にたどり着き、瞑想を知って抜け出すことができた。

あとは認知行動療法あたりも結構役に立った。でも詳しいことは結構忘れた。

しばらく全然不安を感じず平気な日が続いていたため正直瞑想をサボっていたので、もう一度やり始めるいい機会だと思ってやってみようと思う。