skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

ネットで怒っている人

政治とかジェンダーとか仕事お金周りで怒ってる人はたくさん見かけるけど、

乱暴に一括りにするなら自分の幸福ばかり追求するからそうなるってことなのかなと思う。

他人が悪意のある一面的なペラい人間とか冷たい壁にしか思えてないのかなとは思う。あまりにも他人の描写が薄すぎて違和感を覚える。

まあ怒るようなコンディションの心は言い換えるといろんなストレスで切羽詰まってるので視野狭窄にもなる。それは仕方ないことだ。

だからそういう怒りは受け流して許したい。他人の怒りの感情に接触するとつい受け止めて反論してグワァーと怒りをぶつけ返してしまいたくなるけど。どうせ3日後には何の話だったか相手が誰だったかも忘れてるし。

ちなみに思い出し怒りは昔結構あったけど瞑想とジャーナリングを始めたらほとんど無くなった。急に無くなったんじゃなくて1年くらいかけて思考の癖から抜いたという表現になるか。

 

ネットで怒ってる人は自分の属性外の人は全員が敵!なんて感じでわめいている人も多いが、

少なくとも1億人もいる日本人が全員敵なんてことは無いはずで、案外身近にいる厄介な特定な人が怒りの原因だったりするんじゃないのか。

問題は抽象化せず、問題を具体的に考えて具体的に対処する、例えば厄介な人がいるならそれを御しながらやり過ごすヒューマンスキルを磨くのが急がば回れという感じがする。

 

貧困家庭の子供ならともかく三食食えて屋根があるところに住めてるなら足元の幸福をじっくり味わっても良いのではないか。

でもウカウカしてると半径10mの人の意見に染まりがちだ。ウン億持ってるような金持ちはクルーズだかヨットだかのデカさで同じ金持ちに対して劣等感を感じたりするらしい。

上ばかり目立って見えちゃうのも良くないと思う。上見たらキリがない。

 

それから文字しかないSNSだと変人と常識人の区別もぱっと見でつかない。文章だけは普通っぽく擬態できちゃってる人はいる。

人生経験が足りず変人への免疫がない頃は変な意見でも真面目に考えてしまってこんな意見が常識なのか?と考え込んでしまうこともあった。

じっくり考えてみれば分かることで、1万人に一人、0.01%の意見でもツイッターじゃ1万RTだか1万フォロワーだかということになり立派なバズになる。でも1万人に一人に同意されるような意見って書くと会社や学校内には一人もウンと言ってくれないような意見だって勘づく数値感だ。

 

あとこの間は自称副業&子育てアカウントで年3000万稼いでて全然足りない!この国は努力が報われない!とか言ってる人を見かけた。

でも今報われているがなと思った。その人にしか分からん苦労はあると思うけどそれだけ稼いでて金が""足りない""は流石に無い。

理由があるとしたら変にフェラーリとタワマンとロレックス 買ったうえで子供に小学校受験させようとしてるのか。

或いはシンプルにウソついてるか。怒涛のごとくアフィリンク貼ってたし。人間は弱き生き物なので。

話は脱線するが、何台もポルシェとベンツ持ってる人とか、わざわざデカいジープでスーパーの狭い駐車場にニュッと入って買い物しに行く人とかも実在する。ビックリした。道狭いんだから普段使いはダイハツじゃダメなのか。車好きならまあ…良いんじゃないのというところだけど。

 

俺は周囲にあんまり人がいないから暇つぶしについネットに触れがちで、そうなると半径10mの人の代わりにネットの意見に影響されがちだ。

ネットにはいろんな情報があるけど、どうしても人間のサガというものか、ネガティブなものに注目しがちだし心にも残ってしまいがちだ。

悪意の塊に思えるネット空間は現実そのものからはだいぶ偏っていて、現実は案外悪意もあったり善意もあったり常に揺れ動いているか弱き人間の迷いの集合体で、すなわち意外に悪くないのではなかろうか。

 

現実はネットの外、街中とか道端とか田んぼとかスーパーのフードコートの方にある。そこにはネット空間にあるようなことは起きていないし存在もしない。