skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

続・掃除

土曜日はたまった洗濯物を洗濯機で回し、先日からやっている掃除と片付けの続きをやった。あとはNISA口座が開いたので、買い付けを行うなどした。

外に出かけようかとも思っていたが、家でできることを中心に過ごしている。

 

今日の片付けは机の中や箱の中を中心にやったので、片付けの前後で部屋の見た目は変わらない。

しかし片付けの過程でいろんなものが出てきた。この狭い空間にこれほど物が多く詰まっていたのかと驚いてしまった。外から見た印象通りではない量のものが詰まっている。

しかも中身はといえば、もう10年近く前に使っていた仕事の資料や書類、引っ越し前に通っていたゲーセンのカード、云々…っといった具合で、今までどこかにしまっていたことさえ忘れていた代物であった。

部屋の見た目は変わらなくとも、片付けを終えるとだいぶ気分的にもすっきりし、なんだか長年溜まっていた膿を抜いてデトックス治療をしたような気分になっている。

 

金曜日あたりからまた体が不調だ。花粉の薬の抗ヒスタミン成分が悪い方に作用したか、その割に鼻が詰まって睡眠の質が落ちているせいか、いや花粉でなく昨今の黄砂のせいか、ここ数日落ち着かない天気と気圧のせいか、全部が複合的な感じ。

それで週末頃は仕事で頭の回転が回らない感じになっていたし、今日もなんだか本調子ではない。

でもこれぐらいの状況を「デフォルト」だと思わなくてはならない。

調子のいい時にできることは「基準」にしてしまってはならない。でないと自己嫌悪や後悔がつのり、余計にますます動けなくなってしまう。できうることまでできなくなってしまう。

 

部屋の片付けの過程ではないのだが、昔自分が書いていたブログまで発見してしまった。

内容は今の自分と大差ないようなトーンだった。悩みを吐き出すような内容で、同じようなところでグルグル回っているような感じで恥ずかしくなる。

当時の自分はコミュニケーションが苦手なことで悩んでおり、体力がなくいつもごろごろしてしまうことでも悩んでいる。今の自分と全く変わりない。

しかし今と昔で違うのは、自分の性質そのものではなく、性質に対するアプローチの仕方であると気づく。

自分の質を変える努力、は重ねてみたはずだが、やっぱり無駄に終わるのだなと改めて思う。

それよりも自分の質は何なのか細かく見定め、方法論、マインドセット、仕組みの部分を磨いていくこと、見方を複数持って一つの見方にとらわれないことが大事なのだなと思った。

あと、昔は今と違って文章をやたら丁寧に長く書こうとしていたようだ。つまり気軽に文章を吐き散らしてしまう厚顔さも当時は無かった。良くも悪くも年を取ったということか。