skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

精神病

10代後半から20代の頃本当に人が怖くてたまらなくて、

人から発される言葉の裏の意味がわからなくて勘ぐったり、自分の発する言葉が人にどう伝わるか怖くて仕方なく、

とにかく毎日常に起きた瞬間から寝る瞬間まで片時もなく不安に苛まれていた。

 

人との会話の機会は地獄で、

例えば飲み会なら、逃げて不参加にすると後で浮いてるヤバい奴とか冷たい奴と思われたらまずいからそれは逆に避けて、

無理に参加して、片時も油断せず常に気を張って話の流れにとにかく合わせることに徹しつつ、

居なくてもいいけど空気を絶対に乱さない置物にひたすら擬態すると言った感じ。

 

人の気持ちが分からなくて怖い、

何をしても見当違いになる、嫌な思いをさせたり傷付けたりしてるかもしれない、

そんな自分は自己中で幼くて邪魔で役立たずで情けない、

誰からも嫌われてて何もできなくて何かするだけ余計に迷惑だ、

だから死ぬべきだ、

でも自殺した後の遺体の片付けとか死ぬ瞬間の痛さとかはどうしよう、

結局死ねない、

口では言いながら本気じゃないから死ねないんだろう?ほらやっぱり情けないグズだ。

証拠はいらない、その行動で既に自己証明している。バカだから自分で気付かないのか?

そんなバカはいるだけ他人の迷惑だから早く死ななくてはいけない。

といった具合で常に鬱々としていた。

 

精神科か心療内科に掛かってれば鬱病とか不安障害とか診断がついたんじゃないかと思う。

あとは対人恐怖症とか回避性パーソナリティ障害とか。

でも予約を取ろうとしたら激混みで3ヶ月後とか言われて絶望して結局一度も行ったことはない。

 

視線とか会話が怖いだけでなく先延ばし癖も酷くて、社会人生活は序盤で結構詰みかけてた。

自分の頭で判断して行動することが極端なくらいできなくてお荷物だった。赤字社員というやつ。

パワハラセクハラとか常態化した深夜残業があったら間違いなくターゲットだし今頃死んでたんじゃないか。

 

それから、悲しいニュースとかグロ画像とか目の前で怒ったり泣いたりしてる人を見ても、

どれも同じく平板的にしか感じなくなって、

全てが他人事のように思えてしまう感覚もあった。

目の前を全部映像が通り過ぎていくみたいな。それをぼーっと何も考えずに見ているという。

自分を取り囲む透明なオブラートの向こうでモゴモゴ何かやってるな、くらいの感じで。

映画を見てもただの映像、漫画を見てもただの絵と記号、

と言った感じで感情が全く付属しない無機質な時の流れだけがある無味無臭の手触り。

 

確かそれに気づいたのは新卒就活の自己分析だ。

自分の感情に蓋をしてしまっていたので、本心では自分がどう感じているか・どう考えているのかが自分で全く分からない、ということに気付いて愕然とした。

乱暴にまとめると、当時は自分の意見や感情に一切蓋をしながら周囲から求められていること・ウケることを言わなくてはいけないという考えで凝り固まっていて、

しかも相手の本心が全くよく分からないという状況で、普段の会話がマインスイーパだかイライラ棒みたいな感触になっていた。

地雷踏んだら爆発して終わりの迷惑ないらない子ということ。

 

まずは自分の意見や感情を自分で理解し、

それから自分の感情を他人に当てはめつつ、相手特有の立場や過去の経緯を絡めて想像し、

最終的に自分と他人どちらもwinwinになるようバランスをとっていく、

というのが成熟したコミュニケーションなのだと遅ればせながら学んでいき、

三十路も近くなった数年前くらいにようやく不安状態を脱出できた。

 

脱出しようとしてまず始めたのが、

 

・過去の蓋をしていた嫌なことを全部無理やり思い出して感じ直す

 

という精神的自傷行為じみた荒療治を経て

認知行動療法

発達障害

・精神病

・パーソナリティ障害

愛着障害

ジャーナリング

アダルトチルドレン、虐待

とか自分で色々本やネットで探して勉強しつつ、

 

最終的には

・瞑想、マインドフルネス

・初期仏教の知識

で落ち着いた。

 

本当にざっくりまとめると、

 

・感情とか本音から逃げずに向き合う

・それを感じたり考えたりした理由を、自分の幼少期や青春期のエピソードをヒントになるべく詳しく組み立てる

・とにかくボーッと客観的に眺める

・世間の価値観とか相手の意見とか自分の感情は常に揺れ動いてるものだと理解する

・自分でコントロールできるものとコントロールできないものを見極める

・コントロールできないものはグッと堪えて放っておく

・実は自分でコントロールできると思ってたものもコントロールできないものであると理解する

・良いとか悪いとかの価値判断を放棄する

・まあいいか、で全部手放す

 

ということを学んだ。

ここまで12、3年掛かっただろうか。

 

自分の心が軽やかになると、自然と他人の心がわからないという悩みも消えた。

他人の心はコントロールできないものでわ分からなくて当然じゃないかと思いつつ

自分の心の動きを当てはめてみて、できる範囲で推測しながらも、

しかし分かったと傲慢にならずに考え続ける、という塩梅だ。

 

改めて振り返ると、

素人がキノコとか薬草っぽく見えるものを当てずっぽうに山に入って摘んで煎じて全部まとめて飲む、

みたいな民間信仰療法独学詰め合わせみたいなことをしてるので、

結構無意識なうちに無茶な運ゲーに挑んで勝ったんだなと思ってる。

 

ハッキリ言って他の人には勧められない。

素直に専門家の手を借りて病院とかカウンセラーにかかったほうが良いと思う。

 

ちゃんと病院行ってればもっと早く数年くらいで治って20代を棒に振らずに済んだじゃないの?と思う一方、

ヤブ医者に薬漬けにされて半世紀も精神病が治らないまま死んだ人を知ってるので結局どっちが良かったんだろうと思う。

もっと悪くなっていた可能性も否めない。

というか祖母なんだけど。

 

偉そうに言いつつ年単位で座禅サボってるなあ。