skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

弱者男性

要は金がなくてモテない男性のことを指すらしい。

 

となると自分も該当するのだがなんだか弱者という認識はない。

それは女性に比べて社会的に色々下駄を履いてる意識があるからとかそういうマトモな理屈ではなく、単なる感覚の話でなんか弱者とか強者とかあんまり感じていない。

 

こういうことを考えてる人はスクールカーストを引きずってるみたいなもんなのか。底辺と頂点が一番露骨で動物的な関係になりやすいのが中高生とかその辺だ。

何しろ中高生の頃合いは、まあ仕方ないんだけど教養も経験もないからメタ認知や他人に対する想像力も無いし、

そのくせアドレナリンだかテストステロンはピークぐらい出まくっていてそれに振り回される。

ゆえに運動能力と統率力のあるボスにエサとメスが集まる感じのアレが形成されやすい。

俺自身は学生時代オタクにも体育会にも中途半端に人間関係があったタイプなので合点がいく。要するにそういう奴はスクールカーストのそもそも外にいるみたいな概念だ。

サル山のテッペンでも底辺でもなく離れの洞穴で鼻くそほじりながらボーッとしてるやつみたいなイメージか。

だから今も弱者強者の山から離れたところでボーッとしながら綺麗な石ころとか拾ってる。

 

まあ人間関係のイロハも壁も学校で体当たりで学ばされるものなのでそれも致し方ない。

 

歳をとってテストステロンとかアドレナリンとか出にくくなれば、上下関係意識とか攻撃性が取れてあんまそういうことも考えなくなるのかもしれない。

社会に出て曲がりなりにも揉まれて感じたこととして、綺麗事でなく事実として猿に毛が生えたくらいの違いしかない生き物同士が、

社長とかバイトとか個人事業主とかニートとかそれぞれの役割にハマって色んなことをしてサル山の比ではない巨大な集団を形成しているというだけの話なのだと気付く。

一人一人強そうな奴も弱そうな奴も迷いとか苦しみとか欲望とかテキトーなところがありつつ、その人の枠の中であれこれ考えながら生きてるということでしかない。

 

しかし何にせよいったん被害者意識を持ってしまうと敵ができて連帯感もできるから抜けるのが難しくなるというのは感覚的に分かる気がする。

インターネット黎明期から言われてるフィルターバブル効果で、SNSでは簡単に似たような思考の同志が集まって他の意見が通らなくなるばかりか、リアルな繋がりやしがらみもできて尚更抜けにくくなる。

あとネットでだけとはいえ、自分のことを弱者って言っちゃうのも普通にナメられるしやめた方がいいと思う。恥も外聞もない情けない文字通り弱い奴と思われて余計に肩身が狭くなるのがオチではないか。