考えることと行動すること。
昔から考えることは得意でも行動は不得意だった。
考えすぎて動けなかったり、考えた通りに全然できなかったりする。
或いはそもそも運動神経やコミュニケーション能力が低すぎて、うまく実行できること自体がほとんどなかったり。
考えることは得意でも、考えついたことは他の人にはほとんど言わない。
言ったところでピンと来なくて無視されてしまうということが多かった。
そこで人にしつこく食い下がるガッツは無かった。
代わりに自分一人で黙々とやることはできた。
それもまたある種のガッツと言えるならガッツがあることになる。しかしそれにも人からの助言が得られないので限界はあった。
言い出しっぺなのに自分ではできない、というのは情けないと思ってしまう。
自分ができもしないことを人にやらせるのか、という罪悪感も生じるし、あるいは自分の考えは最初から出来もしない机上の空論ではないかと思ってしまう。
集団の中で、ただでさえ行動ができなくて足を引っ張る奴が、変にこうしたら良い、こんなものがあれば良い、など口だけ出すようなことが果たして許されるだろうか?
無視され生暖かい目で見られるか、頭でっかち、文弱呼ばわりが関の山だ。
正確・迅速・平均以上のクオリティでの実行こそが全てであり、尊ばれる。
だから考えることよりも、皆と同じように実行できるように努力しなくてはと思う。
あわよくばそうして一人前になれば、自分の考えを聞いてくれたり自分で実行できたりするようになるのではないか、という淡い希望を抱きながら。
結局それは叶うことがなく、うだつの上らない実行を細々とやりながら、やがて考えること自体をやめてしまう。
しかし実行フェーズのことはおそろしくできない。
おまけに行動力が無い、ように見える。やる気がない、のろいというレッテルを貼られる。
自分ができる行動とは思考であり、一般的に行動と見做されない。
武器を作ったり武器を比較したりどんな武器が必要か考えて作戦を立てたりすることは比較的できるが、武器を使うことは下手だし遅い。
そして武器を使うこと以外は行動とはみなされない。
考える役割の方にしたって、世の中には上位互換がいる。国のトップオブトップくらいの実力なら認められる。そして俺はその水準には遠く及ばない。
何ならそれなりのエリートになれば思考も行動も両方できるという人も多い。
周りがどんどんやるのに自分だけできなくて置いてかれる、お荷物になる、それが自分の中でもコンプレックスになっていた。
苦手なことは工夫して乗り切るか、人に頼るかの選択肢があるが、
人に頼るには普段から信用貯金を積み上げたく必要がある。
場所によっては自分の得意なことで信用貯金を積み上げることがほとんどできなくて難しかったりする。
とにかくやる、が是になっていて考えることや作ることは大して重視されず、
考えることや作ることを工夫すること自体がピンとこない、それよりも早くやれよ、そんなことに逃げんなよ、よく分からん、と言われてしまう環境だ。
工夫にしたって自分一人でやるしかない。誰もがとにかくやれ、やってみろ、しか言わない。
そして上手くいかないのを繰り返す。