もうあと2週間くらいで夏が終わる。
今日くらいは曇っていて、気温もそれほど熱くないように感じたので、久々に昼から出かけられそうだな、と思って出かけたのだが、
10分もしないうちに汗が噴き出てきて、結局1時間もしないくらいで退散した。
家に帰ると頭が痛くなってきたので、頭痛薬を飲んで少し横になった。
500mlペットボトル1本分のスポドリじゃ、ミネラルも水分も足りないのだろうか。
自分も中高生のころには、昼間っから外で部活動をやっていたのだが、なんでそんなことができたのか不思議でならない。
水筒で持ってきた2リットル近い麦茶はすぐに飲み干して空になったように記憶している。
しかし、今日歩いたコースには、付近に学校も公園もあったはずなのだが、子供の声も部活の声も聞こえてこなかった。
世の中変わったのだろうか。みんな昼は中にこもっていて、夕方から外に出て行動を始めるんだろうか。
だいたい自分が部活動をやっていたころなんて、そろそろ20年が過ぎようとしているのだ。常識は変わって当然だ。
ところで昔は夏休み中、暑中見舞いだの残暑見舞いとかを送っていたことを思い出す。
今日日、みんなハガキなんて書くんだろうか。
いつまでに書けば暑中見舞いで、いつから書くと残暑見舞いだったのか忘れたが、
もはやこんなに暑くなった夏に、暑中と残暑の区別なんかなくてもいいだろう。
お歳暮は、物心ついた時から送りあっていなかったと思う。
自分が社会人になってからも、特にそのような習慣には出くわしていない。
しかしお歳暮のために上司や取引先に住所を教えるのは嫌だ。
まあこちらにも上司の住所は分からないので、パワハラ上司への復讐の手段も無くなり、その点イーブンかもしれない(別に今の上司にパワハラを受けているわけではない)
しかし俺もぼちぼち部下を持たなくてはいけない歳になるのだが、全然その予兆はない。
正直持ちたいとも思わない。人の人生を抱えられる器ではない。
粛々と働いて年金がもらえるまで逃げ切りたい。でも先もそれなりに長いから困りものだ。
自然の近くを歩いていても、藪蚊やセミにあまり出くわさない。
これは完全にいいことでしかない。
蚊が耳元を飛ぶ時のあの嫌な羽音も聞いていない。セミの死体にも出くわさない。
虫は昔からとにかく嫌いだ。見た目と動きが嫌だ。ちょうちょが近くの空を飛んでるくらいなら許せるという程度だ。
昔、宿題か何かでどうしても虫取りをしなくてはいけないことがあったのだが、捕まえるべきセミを触れなくて泣き出してしまったことさえある。
そしてどうにかこうにか、虫取りかごの中に3匹ほどセミを捕まえたのだが、かごの中でセミが喧嘩をおっぱじめてしまい、
特にしこたまやられたであろう弱い1匹の個体の羽がボロボロになってしまった。
観察が終わり(たぶん観察の宿題だったのだろう)、ベランダからそのボロボロになったセミを放すときに、
飛び出した瞬間「ジッ」と短く鳴いて、飛べずに一直線に落下していく様は脳裏に焼き付いている。悪いことをしたと思った。
初めて飼った、そして唯一のペットも虫だった。
隣に住んでいる婆さんが庭先かどこかでカミキリムシを捕まえ、どういうわけか俺にくれたのだ。
虫は嫌いだったが、もらったことだし、初めて飼う命だったので、責任感を持って餌なんかを調べ、自分なりに一生懸命に飼った。
しかし1週間くらいであっさり死んでしまった。
老婆にとらえられるくらいだったから、そもそも弱っていたのかもしれないが、とにかく死なせてしまった責任と別れの悲しさを感じて大泣きしたことも覚えている。確か墓まで作った。
だからそれ以来、ペットは飼わないことにしている。ひどいペットロスに陥ることは目に見えている。
後日、別の近所の人が、カブトムシの幼虫をペットにしないかと持ってきてくれたのだが、断った。
この経験があったからではなく、正直普通にキモかったからだ。
しかし断るのも悪いという心理が働いてどっちつかずになってしまい、やはり泣いた。
昔は結構ささいな理由で泣いていたのだと思い出す。