skulguyのブログ

とりとめのない完全な独り言を書き連ねていきます

秋葉原事件

毎年この日には秋葉原の事件現場に赴き花とかコーヒーとか水とかを供えるようにしている。

以前はお坊さんがお経を唱えていて線香も供えられたはずだが、ここ数年は姿もなくそれができなくなっている。

事件からはもう15年経つが、それなりに立ち止まって祈る人もいてお供物も結構置いてある。

 

秋葉原事件が起きた当時は学生で秋葉原もそれなりに好きで何度か行っていた街だったのでショックだった。

少し経ってから、その事件について加害者・加藤智大の実像に迫ったルポが上梓された。

これは当時の自分が読めた数少ない本で、今も何度か読み直している。

彼は決して特殊な環境で育った特殊な人間ではなく、ある所には驚くほどの普遍性さえあった。

そして自分の中にも彼の生い立ちや鬱屈に相似形の何かを感じざるを得なかった。

 

ヒステリックで暴力的な母親と無力で空気の父親、というある種の典型的な組み合わせが幼少期の無力な彼を襲い、彼の言葉を奪い、思考を鈍麻させ感情を閉じ込めてしまった。

本心に蓋がされ、その蓋の奥からでも突き動かしてくるエネルギーが僅かなパルスとして漏れ出し"本音"に変わるが、

その弱々しい一縷のポーズも受け入れられず無惨にも払い除けられる。

そうして繋がりを求めても得られず、下してはいけないタイミングと方向性の時に限って大きな決断を下してしまい案の定ドベを引いてしまう。

かといって所謂現実のレールたる学歴とか仕事といった上辺の規範に適応し没頭することもできず、心の空白を癒さないうえかえって益々酷くなる。

そして家族の離散に不景気のうねりという外からのどうしようもない波。

現実が浮遊して目の前の生の質感が後退する感覚が彼を飲み込んでいき絶望と破壊衝動だけが残る。

 

彼は生前にいくつか本を出版したり死刑囚の展覧会に絵を出したりはしていたが、

なぜ自分が事件を起こしてしまったのか、自分で本気で向き合って気付くことはなかったように思う。心から被害者の痛みを感じられたとも思わない。

あんな事件を起こして死刑囚になってしまったら尚更、その罪の重さ大きさと取り返しのつかない過去に対する諦めも相まって向き合えなくなる。

 

彼は引きこもりになってもおかしくなかった。彼はちょっと偏屈だが商品知識は抜群な車屋になってもおかしくなかった。

彼は親の反対を振り切り中学生にできた恋人と添い遂げてもおかしくなかった。

 

閉じてしまった、というより開いたことのない心の扉を開けるのにいったいどれほどの勇気がいるだろうか?

固く執拗にくまなく組み立てられた鉄格子の枠からはみ出てしまいそうなほどの感情の蠢きにどれほど恐怖し戸惑わなくてはいけないか?

でも自分のそれと向き合い、戦い、許すことなしには、他人と真に繋がることも理解することもできない。

 

何故俺が殺さなくて彼が殺してしまったのか?

何かの映画のようにもし生まれた時代と場所がそっくり入れ替わっていたら俺が殺していたのか?

バカな話を承知で言えば俺が殺さない代わりに彼が殺してしまったようにも錯覚してしまう。

自暴自棄の無感動の絶望の淵にいた時に自殺と破壊の抑止力になったのがもう起きてしまった秋葉原事件だったのだから。

今もなおとにかく考え続けなくてはいけないという焦りがいつも心の片隅にある。

飛躍するようだし望まれてもいないことであるようにも思えるが、それでもなお今自分にできることは被害者の冥福を祈ることしかない。