日本に住んでると否応なく色んな自然災害を目にするけど、何よりも地震では死にたく無いなという思いがある。
建物やタンスに潰されたり、火の手が回って逃げ遅れたりしたらきっと苦しんで死ぬことになるに違いない。
だからホテルやレストランに行くと必ず非常口をチェックする。旅行や食事は楽しいが、常にここで災害に遭ったら家族に連絡がつかないとか、こんな所で災害に遭うなんてとビックリさせたうえに悲しませるなとか、何だかんだで家族のことは考えてしまう。
でもそもそもが悲しいかな、これは特にレストランあるあるで(もっと儲かっていて欲しいのだが)逃げる前に全部潰れたり焼けたりしちゃいそうなボロい可燃物の建物だったりとか、
或いはどこの建物でもありそうな例としては、非常口はあるけどカギの開け方が分からなくなりそうとかそもそも通路が狭くて通れなさそうとか、
非常口を開けた先のルートが結局わからなくね?と思ったりとかで心配は全く尽きることがない。
一番嫌なのは圧死で、
タンスに潰されてもしばらくは生きていて、痛みをずっと感じているんだろうなとも思う。
あるいは友達や家族が潰されていた時なんかは、助け出そうとしても重くて動かせず、
徐々に衰弱していったり火が回ってきたり、結局見殺しにしなくてはいけなくなって助けられず無力感と絶望感と罪悪感で半端なく辛いだろう。
いつまで経ってもあの時こうしていれば、こう言ってれば助かったのにと後悔が付き纏いそうだ。
しかも重いもので長時間潰された場合、助け出せても体内で毒素ができて全身に回って死んでしまうらしい。
そうなるといよいよどうしようもない。
生きる死ぬは正直そこまで執着してないんだけど、寝てる間に楽に死ぬ以外の方法は結局全部苦しそうで嫌だなーと素朴に考えてしまうものだ。
死ぬというよりはそこに付属する苦しみとか悲しみは避けようがなくなって避けたいとつい考えてしまう。
そういう意味では家族や友人が亡くなって自分が生き残るパターンの方が、生きている間苦しみに苛まれ続けることになりそうだ。