夜中に地震速報が来て叩き起こされた。
深夜に震度5弱の揺れが関東の広い範囲で観測され、久々に家族LINEが動き、お互いの無事を確かめ合った。
で、夜中に起きたお陰でまたしても眠れていない。
そんなわけで、土曜日に続いてまたしても昼までボーっとして、虚無の時間を過ごしてしまう。
ボーっとするのも良いっちゃ良いのだが、これでは満たされずモヤモヤが心に溜まる。
休日も生産的に過ごさないといけない…とまでは思わないが、せっかくの休日なのだから好きなことに没頭して満足したい。
でも、それができずダラダラ過ごしてしまうこともある。
で、ダラダラとスマホを弄ってショート動画やSNSに触れるわけだが、これらはエネルギーがない時に暇つぶしを与えてくれるから触っているだけであって、これが大好きで触れているわけではない。
ダラダラしてしまう原因は直接的には眠気と怠さだが、さらにその原因を深堀りすると、睡眠や食事の乱れ、運動不足、そして仕事のストレスと蓄積疲労に行きつく。
仕事はどうにもできないから、睡眠や食事と運動をどうにかするしかあるまい。
日頃からの積み重ねがものをいうのだ。
上司や同僚が異口同音にジム通いをしていると言っていたのを思い出した。
やっぱり仕事が忙しい人ほど運動と睡眠はちゃんとしているのだ。
俺もエニタイムくらいは契約してみるか…と思いつつ、三日坊主になるのが怖くて二の足を踏んでしまう。
今年、既に英会話アプリに高い金を払って三日坊主になっているのだ。
それに、家のクローゼットの隅っこでは今でもダンベルとマットが埃をかぶっている。
運動をやる内発的な動機がないというのが実情だ。
頭ではやった方が良いと分かっていても、やりたいという意思に転換しない。
やる気に頼らない習慣化ができれば理想だが、いざやっても続かないのだ。
一応、小学生から高校までずっと運動を続けていたのだが(サッカーと水泳)、結局俺は根本的に運動が好きじゃなかったのかな、なんて思ってしまう。
でも、日曜夕方になってようやく意を決して外に出かけることにした。
体や気分が怠くても、いざ動き始めればリズムができて気力がわくこともある。
このまま日曜が終わると絶対に後悔すると思い、可能性に賭けてみたのだ。
出かける道中、近所の庭先で、バーベキュー・セットでソーセージを焼きながらウイスキーの瓶を空け、キャンプ用の小さい椅子に腰かけながら一人でまどろんでいるおじさんを見かけた。
俺はそこに中年男性の享受できる完璧な「自由」を感じた。
とりあえず駅まで行き、そこから電車に乗り、読みかけていた小説を読破した。
以前買った村上春樹の短編集でまだ読めてなかった「めくらやなぎと眠る女」を読了。
設定は短編集の表題にもなっている「螢」と同一のものを思わせたが、方向性は違う作品で、辿れなくなった記憶・聞こえない耳・バスの行先・病院の空気・架空の植物「めくらやなぎ」…といった複数のイメージが重なり合い、不穏で不思議な読後感の小説だった。
ちょうど本を読み終えたくらいのタイミングで新宿三丁目に着き、紀伊国屋に行って新しい小説を2冊買い、地下の食堂フロアで飯を食った。
いつも紀伊国屋に来たらモンスナックかjinjinのどっちかにするのだが、今日はjinjinで夏限定のジェノベーゼにソーセージをつけて食べた。
ここでようやく気力がよみがえってきて、帰り道にはさらにスーパー銭湯に寄った。
ジャグジー風呂にマッサージ機も使い、温浴と刺激で全身をほぐす。
1時間弱滞在し、体がぽかぽかで血行も良くなった感じで、頭の中もクリアになる。
銭湯の建物から出ると、外はジメジメしているが風は涼しくなって過ごしやすい。
いい晩夏の夜だ。
最後まで諦めなければ良い日を過ごすことはできる。
そんなことを思った日曜日だった。