8月に入った。
暑さには参ってしまう。
少しずつ秋の気配を感じるなんて人もいるみたいだ。
確かに夜の暑さはマシになってきた。
しかし騙されてはいけない。
7月半ばから後半までが暑すぎただけで、今だって普通に暑い水準である。
じっとりと汗をかく。
五輪が始まったが、見ない。
スポーツをリアルタイムで観戦することも減ってしまった。
今回は時差の影響もあるけれど、昨今スポーツ観戦に楽しみよりストレスを感じてしまうようになってしまったのもある。
不公平な審判、卑怯なプレーや挑発、微妙な判定、思い通りにならぬ展開、よくわからないルール…
一つ一つの要素にいちいち、イライラしてしまう。
それに、観戦はテレビであれ現地であれ、それなりに長い時間拘束されるから途中で飽きてしまう。
結果だけ見てなんとなくメダリストの名前だけ覚えて、忘れる。
些細なことをスルーできず自分一人でイライラすることが増えた。
もちろん他人にぶつけたり態度で示したりもしない。
周りに誰もいなく、声が響かないところで一人でいる時にため息を発するくらいだ。
間違いなく原因は睡眠不足である。
体内時計がおかしく、なかなか眠りにつけない。
一昨日はついに丸一日全く眠れなかった。
反動で、昨日は仕事から帰ると 夕飯も食わず風呂にも入らず、そのまま寝落ちし、泥のように12時間眠った。
しかしそれでも足りなかったのか、今日は一日中だるい。
仕事をどうにかこなすので手一杯だ。
最悪のコンディションでも、その日にどうにかやらなきゃいけないことはやる。
それだけのことかもしれないが、自分で自分を褒めてやりたい。
若い頃にはそれができなくて参ってしまっていたのだから、その頃よりは成長している。
寝落ちは正直、眠りの中でも一番気持ちいい。
ぐっすり眠れる気がする。
しかし実態は眠りというより気絶なのだと言う。
へえ、と思いつつ、明確な違いを説明しろと言われても正直よくわからないが。
眠りは死の従兄弟、なんて表現が海外ではあるらしい。
実際、死ぬ時は自分が死ぬって分からないんだろうなと思う。
寝落ちと同じで、ウトウト気が遠くなったらいつの間にか深い、目覚めない眠りにつくのかもしれない。
正に眠るように死ぬということだ。
それは苦しんで死ぬのとは全く対照的だ。
苦しんで死ぬと言えば、祖父のことを思い出す。
祖父の死には立ち会っていないのだが、
聞いた話では最期、酸素マスクをつけても呼吸がほとんどできず、
しかし死ねないという状況になって、何時間ももがき苦しんで死んだそうだ。
祖父は全く悪い人ではなかった。
なのにそんな苦しく死ぬのかと思うと、死の不条理さについて考えざるを得ない。