人間は生まれてくるべきではないという思想。
個人の幸福とか地球環境とかあらゆる文脈でだ。
思想自体は仏教の一部分を切り取って拡大しただけで、そんなに体系だってもないし真剣に考えるだけのものでもないような気はする。
反出生主義者と言われる人の中では割と有名なシオランの本とかは結構機知に富んでて面白かったけど。
(ページ数は多いけど中身は短いアフォリズム集なので、意外と気楽に読めるし、どこからどういう順番で読んでもいい)
反出生が主義として主張するには弱弱とはいえ、
この世にいる人は全員、産まれてきたくて能動的に産まれたのではないという視点というか着想自体は
頭の片隅に留めといても良いんじゃないかとは思う。
身も蓋もない原則として、人はお母さんとお父さんが哺乳類の繁殖をして産まれてくるわけで、
虐待家庭に生まれようが紛争地帯に生まれようが生まれてくる子供に選択権はない。
もし子供が産まれてくることを選べるなら、平和な国で金持ちで優しい家庭ばかり子供が増えるはずだ。実際はその全部真逆だけど。
子供が自分を選んで産まれてきた、という詩みたいなものを見かけたこともあるが、
それは父母に子供の選択権なしに産み落とした以上は責任を負うべしと覚悟させるための文言であって、優しい幸せなイメージで捉えるのは違う。
で、運良くいい家庭に産まれたとしても、産まれたら最後、
生きている限り自分の心の中の煩悩に右往左往して、会いたくない奴との出会いとか別れたくない奴との別れを経ながら、
老いたくなくても老いて、病みたくなくても病んで、死にたくなくても死ぬ。
まあ冷静に考えたら身も蓋もない発想なのだが、一つ言えるのは産まれてきた人を救う思想では無いということだ。
既に産まれてきて苦しんでいて今助けて欲しいっていう人を助けられない。
むしろそんなこと指摘したら、起きる感情は絶望が大半ではないか。
ほんのわずかばかり感じられる穏やかな諦めが救いっぽく感じられるくらいはあるかもしれない。
生きるという根本的なところを揺さぶるしそうなので人に押し付けたらダメージでかいし、
結局は悩んでいるなら自分が今どうやって生きるかにフォーカスした方がいい。